キリスト教特論(文学部)
(1)序、聖書の歴史について
(2)パレスチナ定着以前の時代
(3)パレスチナ定着の時代
(4)パレスチナ問題について
(5)統一王国時代
(6)北イスラエルの歴史
(7)南ユダの歴史
(8)バビロン捕囚の時代
(9)ペルシア時代
(10)ヘレニズム時代
(11)新約聖書の時代(1)
(12)新約聖書の時代(2)
(13)新約聖書の時代(3)
(1)序、聖書の歴史について
  授業の諸注意 授業は講義形式→よくノートをとること
         出席は時間の都合上とらない
         評価は、基本的に学期末の試験による
         私語は慎むように
  授業内容 キリスト教が生み出された背景である歴史について考察する。
       特に、2千年間パレスチナの地で展開された旧約聖書の歴史を
       考察する。
       会わせて、現代のパレスチナ問題にも触れたい。
       いろいろな資料などを画像でも見せたい。
  教科書 樋口進『よくわかる旧約聖書の歴史』日本基督教団出版局、2001
      年
  参考文献 『聖書 新共同訳』日本聖書協会
 
a)聖書について
  世界のベストセラー 翻訳言語数 2,377言語(2004年の統計)
  旧約聖書(ヘブライ語聖書) ヘブライ語 39の書から成る
      古代イスラエルの歴史と文学
      誰がいつ書いたか?→長い時間かかって編集された
  タナク ヘブライ語聖書は3部から成る
   律法(トーラー)→BCE(before Common Era)5C頃
   預言者(ネビイーム)→BCE2C頃
   諸書(ケスビーム)→CE(Common Era)1C
  新約聖書 ギリシア語 27の書から成る→CE2C
b)聖書の舞台
  パレスチナ→旧約時代カナン;新約時代ユダヤ
   CE2C以後→パレスチナ(ペリシテ人の地)
   西アジア、東地中海の南3分の1(北3分の2はシリア)
  四国ぐらいの広さ→聖書の舞台
   北には、年中雪を頂くヘルモン山(標高2,814m)
   南方世界最低の湖死海(海面下400m)
   ユダの荒れ野クムラン(死海写本)
   死海とガリラヤ湖の間はヨルダン川(現在イスラエルとヨルダンとの国
    境)
      寒帯から熱帯に及ぶ多種多様な動物、植物
   (植物に関しては、吉岡記念館横のベルスクエアに聖書の植物が30種類
    ほど植えられている)
   メソポタミアとエジプトを結ぶ「通路の国」→周辺の諸民族
   多くの民族が交流した。
   首都エルサレム→3大宗教の聖地
    ユダヤ教→神殿
    キリスト教→イエスが十字架にかかり(ヴィア・ドロローサ)、復活し
     た場所(キリスト教発祥の地)
    イスラーム→ムハンマドが昇天したところ(黄金のモスク
(2)パレスチナ定着以前の時代
 a、族長
   イスラエル民族の先祖
   →アブラハム、イサク、ヤコブ
    (創世記12-50章)
   アラム人の移動→第1波:前19・18世紀、アラビア半島から北へ。
         創世記11:31、バビロン第一王朝(前1894〜1595年)
         第2波:前14・13世紀、エドム人、モアブ人、アンモン 
           人、イスラエル人がパレスチナに定着。
 →イスラエルの先祖は、アラム(ユーフラテス川上流)から羊や山羊など 
  の小家畜を連れてカナンに移動してきた集団。
   彼らは、大家族の集団を形成し、牧草をおいながら移動していた半遊 
  牧民であった。
  アブラハム、イサク、ヤコブは、そのような大家族の長であった。
  それぞれの集団は、それぞれ自分たちの先祖の神を崇拝していた。
  →アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神(出エジプト記3章)。
   後にヤハウェに同一視されていった。
  アブラハムは、シケムとヘブロンで祭壇を築いた(創世記12:7、13:4、 
  18)。
  彼らの集団は、小家畜の群れを飼育しながら、沃地の周辺部をさすらっ 
  たが、一定の土地の定住することはあまりなかった。
  平野には堅固な城壁に囲まれた先住民(カナン人)が住んでいたので、 
  たいていの場合は人のあまり住んでいなかった山地が中心であった。
  沃地に定住するケースもあった。→ロト(創世記13章)
  定住すると次第に農耕に移行。
  アブラハムの集団は、ヘブロンを中心としてユダの地方で遊牧し、
  イサクの集団は、南方のベエル・シェバ周辺で遊牧生活をした。
   創世記26章→イサクの井戸掘り
  ヤコブの集団は、ヨルダン川の東側の中央、及びエフライムの山地で遊 
  牧生活。
  牧場交換の経過の中で、次第に沃地に定着するということも起こった。
  「子孫に土地が与えられる約束」→創世記12:7、26:3、38:13。
  旱魃の時は、エジプトに移動。→創世記46章。
  前18-16世紀、エジプトはヒクソスの支配(「外国人の支配者」という意 
  味)。シリア・パレスチナから進入したセム族の民。
  ヨセフの家族は、このセム族の王によって優遇を受けた。
   b、エジプト脱出、荒れ野放浪
    エジプトは一時期ヒクソスの支配にあったが、紀元前16世紀にはエジ
     プト人のアハネスI世(1552-1527年)がヒクソスを追い出して、エ
     ジプト人の王朝を再興した(新王国の第18王朝、1552-1306年)。
     それに伴ってヨセフ族への扱いも厳しいものになっていった。
    出エジプト記1章8節には、「ヨセフのことを知らない新しい王が出てエ
     ジプトを支配した」とあるが、これはラメセス二世(前1290−1224
     年)と思われる。この王の時代に、ヨセフの子孫は、厳しい強制労
     働によって虐げられたのである。この王は、国境線の防備のために、
     ピトムとラメセスの町を建造し(出エジプト記1:11)、そのために多
     くの外国人を強制労働につかせた。
    出エジプト記において、エジプトで強制労働につかされていたイスラ
     エルの先祖たちが「ヘブライ人」と言われている(1:15、16、19、2:1
     1、13)。
     この「ヘブライ人」というのは人種を指すものではなく、当時のオ
     リエントの他の資料からも「アピル」(メソポタミアで)とか「ハビ
     ル」(エジプトで)と呼ばれていたものと同じもので、一種の社会層
     を表すものであった。
     これは、自分の土地や市民権を持たず、外国に寄留し、そこの権力
     者によって強制労働などにつかされていた階層である。
    イスラエルの先祖は、エジプトにおいて、このような階層に属してい
     たのである。
    彼らは、王の苛酷な扱いに耐えかねてエジプトから逃亡したのではな
     いかと思われる。
     出エジプト記14章5節の「民が逃亡したとの報告を受けると」という
     記事がこれを暗示している。
     巨大建築をなしたエジプトにおいて、このような階層は貴重な労働
     力であったので、ファラオは逃亡者たちを追跡させた。
    その途中に何かの自然現象が起こって、ヘブライ人は助かったのであ
     ろう。
     この逃亡を指導したのがモーセである。
    この「海の奇跡」については、伝承が複雑で、もはや元の形を再現す
     ることは不可能である。
     「海」は文字通りの海ではなく、元来は湿地帯であった可能性。
     元来の出来事は、強い東風が吹いてきて(14:21)、海が浅瀬になり、
     軽装のヘブライ人はそこを渡ることが出来たが、戦車に乗って後か
     ら追跡してきたエジプト軍は重装備であり、ぬかるみに足を取られ
     てしまった(「戦車の車輪をはずし、進みにくくされた」14:25)。
     その間に、再び水が増し、エジプト軍は追撃を断念した。
     これを神の大いなる救いの奇跡と信じ、この出来事を語り伝えて行
     くうちにいろいろな要素が付け加えられていった。
    その後シナイ山においてヤハウェなる神がイスラエルの民は契約を結
     んだ(シナイ契約)。
    シナイ山で十戒を授与された。
    →シナイ山:シナイ半島の南にあるジェベル・ムーサ(アラビア語で
     「モーセの山」という意味)。標高約2,300m。
     そこで十戒が授けられた後、シナイの荒野で約40年間放浪の生活を
     する。
    十戒(十の言葉)→出エジプト記20:2-17
    序文:2節→主の自己紹介定式、自由の強調
    1戒:3節→断言と否定→イスラエルに特徴
    2戒:4-6節→「刻んだ像」ペセル→木や石
    3戒:7節→元々は偽りの誓いの禁止
    後には名そのものを唱えてはならない。→アドナイ
    4戒:8-11節→安息日
    天地創造での理由付け(申命記にはない)
    5戒:12節→「あなたの父と母を敬え」
    「敬う」(原語カーベード)→本来、神に対して人間がとるべき
    態度。
    6戒:13節→「殺してはならない」
    「ラーツァー」→個人的仇敵の殺害や故殺
  戦争、死刑、自殺には使われない。
    7戒:14節。「姦淫してはならない」
    「ナーアフ」→結婚している男や女が、その配偶者以外の異性 
   (結婚している)と性的関係を持つこと。
    8戒:15節。「盗んではならない」
       「ガーナブ」→出エジプト記21:16などとの関連から、誘拐。
       エジプトの奴隷より解放されたイスラエル自由人の基本的人権
    を確保することを命じたもの。  
    9戒:16節。「偽証してはならない」
    これは、具体的に法廷で偽証することの禁止。
    10戒:17節。「むさぼってはならない」
       他人の財産を奪うことの禁止。
(3)パレスチナ定着の時代
  a、土地取得
   イスラエル民族の先祖たちが、カナン(パレスチナ)の地に進入した 
   できごと(BCE13C後半)。
   ヨシュア記の記事(その通りのことが起こったとは考えにくい)
   →ヨシュアに率いられたイスラエルの12部族の全体は、まず最初による
    ダン川の東を占領し、ギルガルでヨルダン川の東を占領し、ギルガル
    でヨルダン川を渡り(そのとき川の水はせき止められた)、一気に進軍
    して、中部パレスチナのエリコとアイを占領 →6日間、毎日城壁の周
    りを1回ずつ回り、7日目には7回廻って、鬨の声を挙げると城壁が崩れ、
    町を占領した。
    カナン全体を占領し、くじによって12部族の領地が分けられた。
   土地取得(歴史的な出来事)についての三つの説
    @「統一的軍事征服説」:W・F・オールブライトなど、アメリカの学者
     だいたいヨシュア記に記述通りのことが起こった。考古学によって、
     パレスチナのいくつかの町の破壊の跡がイスラエルによって破壊さ
     れた跡と主張。
    A「平和的浸透説」:A・アルト、M・ノートなどドイツの学者
     後期青銅器時代(BCE1500-1200)のカナンの都市国家は平地に集まり、
     山地には余り人が住んでいなかった。
     小家畜飼育者は牧場交換によって人の住んでいなかったパレスチナ
     中央山地に入り、時と共に「平和的に」定着していった。
     それ故、土地取得には相当の時間を要した。
    B「社会変革説」:G・E・メンデンホール、N・ K・ゴットワルド
     土地取得は、外からの進入ではなく、カナンの都市国家内部におけ
     る変革であった。
     貴族と無権利の状態におかれていた農奴(アピル=ヘブライ人)の
     対立で、地位が逆転した。
    →Aが最も有力。
     イスラエルの先祖たちは、羊や山羊を放牧する半遊牧民であり、最
     初沃地の周辺で生活し、牧場交換の過程で徐々に沃地に定着してい
     った。
     これに伴って、遊牧から農耕へ、小家畜飼育から牛の飼育へ、天幕
     生活から固定した家屋に居住する生活へと移行。
    →ヨシュア記6章の「エリコの占領の記事」は一種の原因物語。
     →イスラエルの民がエリコに侵入したとき、カナンの町はすでに海
      の民との戦いによって廃墟となっていた。          あ
      その光景を不思議に思ったイスラエルの民がそのような物語とし
      て伝承していった。
  b、士師時代(部族連合時代)
    イスラエルは、BCE13Cの終わり頃にカナンに定着してから、約200年間
    王国(国家)に移行せずに、特異な形態を取って存在。
    それは、イスラエルにおいては、人びとを支配するのはこの世の権力
    者ではなく、神(ヤハウェ)が唯一の支配者である、と言う信仰から。
    →士師記8:22-23←ギデオンが王になることを拒否。
    当時のイスラエルは、12の部族の連合体(宗教的連合体)
    →12の部族をひとつに結びつけていたのは、共通のヤハウェ宗教
    →そのために年3度の祭りには、各部族の代表者が中央聖所に集まっ
     た。(春の徐行祭、初夏の7週祭、秋の仮庵祭)
    士師→イスラエルの法に則って、部族間の争いを調停。→王国前の約
     200年間イスラエルを指導したのは、主にこの士師。
    小士師→部族間の争いごとを調停した本来の「裁き人」
    大士師→外部から敵が攻めてきたときに、諸部族から兵を招集して軍
     事的な指導をし、防衛した者で、「カリスマ的指導者」
    例:ミディアン人の攻撃。らくだを使って、東の砂漠より攻撃。
      ギデオンが指導者として立てられた。
      最初、32,000一の兵が集まったが、神によって300人にまで減らさ
       れて、12万の敵と戦って勝利した。→「主の戦い」
      ペリシテ人の危機の時に立てられたカリスマ的指導者は、サムソ
       ン。
       彼のカリスマは、怪力。→多くの敵を倒す。
       しかし、敵から送られた美女のでリラにだまされて、力の秘密
        をしゃべってしまい、捕らえられて、目をつぶされ、敵の牢
        獄で暮らす。
        →これは、カリスマ的指導者では、ペリシテには対抗できなか
         ったことを示す。
       →そこで、国家(王)が求められるようになり、部族連合とい
        う形は終わる。
(4)パレスチナ問題
 
BCElOOO年頃 ダビデ、イスラエル王国を建設→エルサレムを首都に
BCE956年頃 ソロモン、シオンの丘に神殿を建設
BCE926年ソロモンの死後、国は南北に分裂
BCE721年北王国(イスラエル)アッシリア帝国によって滅亡
BCE587年南王国(ユダ)バビロニア帝国によって滅亡→バビロン捕囚
   →ユダヤ人、ディアスポラとして世界各地に散る
   その後、ペルシア、ギリシア、ローマの支配となる
CE70年 ローマ軍によるエルサレム陥落(神殿破壊)→嘆きの壁が残る
135年 第2次ユダヤ戦争鎮圧→ユダヤ人パレスチナから追放→ユダヤはパレ
   スチナ(ペリシテ人の地)と改名。これ以後、ユダヤ人は世界の各地
   でラビ的ユダヤ教として生きる。しばしば、迫害を経験
   特に中世には、各地にゲットーが設けられ、ユダヤ人は差別を受けた。
313〜636年 パレスチナは、ビザンチンの支配
636〜1099年 アラブの支配
1099〜1299年 十字軍の支配
1517〜1917年 オスマントルコの支配→ユダヤ人とアラブ人は平和的に共存
1918〜1948年 イギリス統治
1894年 ドレフエス事件→ヘルツル、ジャーナリストとしてこれを取材
1896年 ヘルツル(Theodor Herzl)が、『ユダヤ人国家』(Judenstaat)を著す。
   →シオニスト機構の結成→近代シオニズムの出発
1897年 スイス・バーゼルで「第1回シオニスト会義」開催→その後、ユダヤ
    人のパレスチナ移住が始まる
1915年 「フサイン・マクマホン協定」→イギリスの二枚舌外交
    第1次大戦中,英国高等弁務官マクマホンH.MacMahonがメッカのアミ
    ール(太守)フサインと結んだ協定。対英協力とオスマン帝国への反
    乱を条件に,英国は戦後のアラブ独立の支持を約束。(→ロレンス)
1917年 「バルフォア宣言」→イギリスの二枚舌外交
    第1次大戦中,英国外相バルフォアがパレスティナにユダヤ民族国家
    建設を認めると約束した宣言。トルコに対する作戦基地確保のためユ
    ダヤ人の協力を期待→ユダヤ人のパレスチナ移住に拍車
1923年 英国の委任統治領とされた
1939年〜 ナチス・ヒットラーによる「ホロコースト」によって、600万人のユ
     ダヤ人が強制収容所で虐殺。→パレスチナ移住の増加
1947年 国連はパレスティナの委任統治廃止と,そのユダヤ,アラブ両民族へ
    の分割を決定。
1948年 第1次中東戦争。イスラエル建国が宣言。アラブ諸国はこれに反対し
    て戦争を開始。イスラエルは米英の支持を得てアラブ諸国を破り,多
    くのアラブ人が土地を奪われ,難民となった(73万人)。
1956年 第2次中東戦争(スエズ動乱)。スエズ運河国有化を宣言したナセル率
    いるエジプトに対し,英,仏,イスラエルが出兵。イスラエルはガザ
    地区とシナイ半島全域を占額。
1964年 PLO(パレスチナ解放機構)結成
1967年 第3次中東戦争(6日戦争)。エジプトがティラン海峡を封鎖したこと
    に対し,イスラエルはエジプトとシリアに攻撃を開始。6日間でガザ,
    シナイ半島,シリアのゴラン高原,ヨルダンのヨルダン川西岸地区を
    占領した。
1973年 第4次中東戦争。エジプトとシリアがイスラエルを攻撃,緒戦はエジ
    プト側が優勢であったが,イスラエル軍は後半立ち直り激戦が繰り返
    された末,10月23日停戦。この戦争は,アラブ産油国の結束による石
    油戦略の援護もあって(石油危機),政治的にはアラブ側の勝利。
1987年 パレスチナ人にインティファーダ(民衆蜂起)発生
1993年 イスラエル(ラビン)・PLO(アラファト)がパレスチナ暫定自治協定
    に合意→ヨルダン川西岸とガザ地区にパレスチナ人の自治を認める
1994年 イスラエル・ヨルダンが平和条約に調印
1994年 ラビン首相、ベレス外相、アラファト議長、ノーベル平和賞を受賞
1995年 ラビン首相暗殺→右派のネタニヤフ政権に(交渉座礁)
2001年 リクードのシヤロン政権誕生(自爆テロ・報復の激化)
(5)統一王国時代
イスラエル十二部族連合→政治的な組織を持たない
ペリシテ人の圧迫(BCE11C)→カリスマ的指導者で防衛することの限界
ペリシテ人(海の民)→地中海からパレスチナに移住し、5つの都市国家を建設 
 (ガザ、アシュケロン、アシュドド、ガト、エクロン)。
ペリシテ人は、この強力な軍隊を用いてイスラエルを攻め、部族連合の中心で
 あった神の箱を奪い、中央聖所のシロを破壊し、その聖所の祭司エリの二人
 の息子も殺した。
イスラエルの各地には、ペリシテの守備隊が置かれるようになった。
サムエルの活動→預言者、カリスマ的指導者、祭司
 彼の最大の功績は、イスラエルに王を立てたこと。
 サウルに、次にダビデに、油を注いで、王に任命した。
 
a、サウル
最初、預言者団に入った。
サウルの主な仕事は、ペリシテの軍隊をイスラエルから追い出すこと。
軍事的な指導者→カリスマ的指導者
サムエルに油注がれて、「指導者(ナーギード)」にされた。
 ナーギード→王のような絶対権力者ではなく、軍事的指導者
 アンモン人と戦い勝利した。
 傭兵によって、常備軍を作った。
しかし、預言者サムエルの命令に従わず、断罪され、力を失った。
最後は、ペリシテ人とのギルボア山での戦いに敗れ、自害した。
 
b、ダビデ
ダビデは、初めてイスラエルに世俗の王権を確立。
今でもダビデは、イスラエルでは英雄。
→国旗は、「ダビデの星」
→ダビデをたたえる民謡、大きな通り(ダビデ通り)、大きなホテル(ダビデ王ホ
 テル)など。
ベツレヘムで羊飼いをしていた。
彼は最初、サウルの部下として仕えた。
しかし、彼は戦いにおいて次々と武勇を立てたので、サウルに妬まれた。
そして、サウルにいのちを狙われるようになった。
そのような精神不安定なサウルをダビデはハープで慰めた。
ダビデはサウルにいのちを狙われたので、逃亡生活をする。(エンゲディ)
サウルがギルボア山での戦いで戦死した後、ユダの王に任命された。
彼はヘブロンで7年間ユダの王として働いた後、イスラエルの王にも任命され、
 統一王国の王となった。
イスラエルの首都を定めた→エルサレム(カナン人の町を武力で占領)
この町は、ユダとイスラエルのちょうど中間にあって、全体を治めるには位置
 的に非常に都合がよかった。
さらに彼は、そこに部族連合の聖所であった「神の箱」を運んだ。
→エルサレムは、宗教的な中心地→聖地→現代に至るまで。
→現代は、3大宗教の聖地(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)
 →神殿(嘆きの壁)
 →キリスト教(ヴィア・ドロローサ、イエスの十字架の場所、聖墳墓教会)
 →イスラム教(ムハンマドが昇天した場所に黄金のモスク)
その後ダビデは周辺の小国を征服し、ひとつの大国を築いた。
しかし、晩年はスキャンダルや後継者争いで騒動が多かった。
 
c、ソロモン
王位継承の争いの結果、勝利したのはバト・シェバの息子ソロモン。
ダビデの王国は、領土的にも民族的にも財政的にも膨大なものであり、ソロモ
 ンのもっぱらの務めは、この遺産を維持・管理すること。
常備軍の制度を整えた→馬にひかせる戦車をエジプトから導入。
数々の建築事業
 →エルサレム神殿の建築(7年かかって豪華なものを)
  →神殿の奥の至聖所に「神の箱」を安置
  →神の住まいとして、エルサレムの非常に聖なる場所となった。
 →王宮の建築(13年かかって豪華なものを)
 →全国から強制労働者を集めた→後に民衆の不満
 →徴税の制度を整えた→後に民衆の不満
諸国との貿易を盛んにし、それによって莫大な利益を得た。
 →パレスチナは地下資源はないが、通路の国。
 →ソロモンの栄華
 →アラビア半島の南のシェバから訪ねてきた女王もソロモンの宮殿の豪華さ
  をみて圧倒された。
ソロモンは、知恵者としても有名
 →『箴言』や『コヘレトの言葉』の著者とされた。
 →彼の知恵は、夢で神によって与えられた。
 →ソロモンの裁き
 →シェバの女王の難問をすべて解いた。
 →今でいう「動物学」「植物学」の知識にも秀でていた。
しかし、強制労働や重税のため民衆の不満も多く、死後は国は二つの分裂する。
→北:イスラエル王国
→南:ユダ王国→ダビデ家がついでいく。
(6)北イスラエルの歴史
 イスラエル王国という名称を後継(南はユダ王国)
 政治的にはきわめて不安定→19人の王のうち8人までが暗殺(王朝の交 
  代)
 3代以上にわたって王位が継承されたのは、オムリ王朝とイエフ王朝のみ。
 
a、ヤロブアムT世
 ソロモンに謀反を起こしてエジプトに亡命していた。
 ソロモンの死後、北イスラエルの王に迎えられた。
 ダンとベテルに国家聖所を建て、金の子牛を安置した。←預言者より非難
 
b、オムリ王朝(BCE878-845)
 オムリ、アハブ、アハズヤ、ヨラムの4代→「教科書」P.81の表参照
 オムリ→カナン人からサマリアの山を買い取り、そこを北イスラエルの首都
  に
  →フェニキアと外交関係を結び、商取引を盛んにした。
  →自分の息子(アハブ)とフェニキアの王の娘(イゼベル)とを政略結婚
 イゼベル→バアル礼拝を持ち込む、ヤハウェ礼拝を禁じる
 
C、エリヤ
 イゼベルの迫害によって、ただ1人残ったヤハウェの預言者
 →山の洞窟に身を隠す、カラスに養われる
 カルメル山でのバアルの預言者との対決→勝利
 イゼベルの迫害によって、ホレブ山に逃亡
 そこで、神と出会い、一つの使命を託される。
 ナボトのブドウ畑の事件
  イズレエルにアハブの宮殿
  その隣にナボトのブドウ畑
  王は、ナボトのブドウ畑をほしかった
  そこで、交渉したが、ナボトは「嗣業の地」故に断る
  王はあきらめたが、妻(イザベル)が策略を企て、ナボトを殺し、との土地
   を取り上げる
  エリヤは、神から遣わされ、アハブに断罪す。
  エリヤは、最後は死んだとは言われずに、「嵐の中を天に上っていった」と
   言われている。→後の時代にメシア的期待がかけられた
 
e、イエフ王朝(前845-747)
  預言者エリシャは、その弟子を将軍イエフのもとに遣わして、彼に油を注
   ぎ、オムリ王朝を断絶するように命じた。
  イエフは、革命を起こし、オムリ王朝を倒し、イエフ王朝を打ち立てた。
   イエフ、ヨアハズ、ヨアシュ、ヤロブアム、ゼカルヤの5代→「教科 
    書」P.81の表参照。
  アッシリア帝国の勢力が、シリア・パレスチナに伸び、イエフはシャルマ
   ナサルV世に貢ぎを送る。
  ヤロブアムU世の時代は、しかしイスラエルは最後の繁栄を享受。
 
f、アモス
  最初の記述預言者。「アモス書」
  アモス書7:10-17→元々預言者でなく、羊飼い。
  →ある時突然預言者に召された→「召命」(他の預言者も皆そう)
  南ユダから北イスラエルに言って預言活動をした。
  預言者の使命→神の言葉を伝える
  →多くは、人々の罪を非難し、神の裁きを宣告した。
  アモス→貧しい人々を虐げていた支配者階級を非難した。
  当時の王(ヤロブアムU世)が、敵に殺され、人々も捕虜として連れて行
  かれる、と過激な預言をした。→国家の滅亡が暗示→それは後に実現する
  そのため、ベテルの聖所の管轄者(アマジヤ)に国外追放された。
  アモスは、地震をも預言し、実現した。
 
g、ホセア
  アモスに次いできたイスラエルで活動した預言者
  彼は、結婚生活を通して預言した。
  神の命令によってゴメルという「淫行の女性」と結婚するる。
  「淫行」→偶像礼拝を意味する→当時のイスラエルの人々のバアル礼拝を
   非難。
  神の命令によって3人の子どもに象徴的な名前をつける。
  最初の子→「イズレエル」→大量殺戮の起こった場所
   →イスラエルの民の罪
  2番目の子→「ロ・ルハマ」→憐れまれぬ者
   →神がもはやイスラエルの民を憐れまない、という裁きの宣告
  3番目の子→「ロ・アンミ」→わが民でない者
   →神との契約の解消(イスラエルにとっては最も厳しい裁き)
  →ホセアは、当時のイスラエルの民の偶像礼拝が、ヤハウェとの契約違反
   だとして、厳しい裁きの預言をした。(国家の滅亡)
 
h、北イスラエルの滅亡
  アッシリア帝国のシャルマナサルV世の攻撃
  首都サマリアは、3年間包囲された後に陥落
  BCE721、サルゴンU世によって、北イスラエルは滅亡。
  上層階級は、アッシリアのまちまちに捕らえ移される。
  国土は、アッシリア帝国のサマリア州とされる。
  ここに住む人が、後のサマリア人と呼ばれるようになる。
 →→アモスやホセアの預言が成就した。
(7)南ユダの歴史
南ユダは、国土も勢力も北イスラエルより小さかったが、ダビデ王朝と首都エ
ルサレムを受け継ぎ、比較的安定
そのため、北イスラエルが滅ぼされてなお135年生き延びた。
ダビデイエスの支配が中断したのは、アタルヤの6年間の支配のみ。
→教科書P.81の表参照
 
a、イザヤの時代
預言者イザヤが活動したのは、BCE8Cの後半
BCE745→アッシリア帝国にティグラト・ピレセルV世即位
→パレスチナ・シリアに侵略
シリア(アラム)とエフライム(北イスラエル)→反アッシリア同盟結成
→ユダをも引き入れようとした
→ユダの王アハズはこれを拒絶
→同盟軍がエルサレム攻撃(シリア・エフライム戦争=BCE734)
エルサレムは恐慌に陥る→イザヤは「落ち着いて静かにしていなさい」と勧告。
アハズ王→莫大な貢ぎを送ってアッシリアの援助を求める
→アッシリアは、直ちにシリアとイスラエルを攻撃
→ユダ王国は、アッシリア帝国の属国となる。
次のヒゼキヤ王は、エルサレムの防備を固める
城壁の外から水を引く水路を造る→現在にまで残っている(教科書P.121)
BCE701→アッシリアの王センナケリブはエルサレムを包囲
エルサレムは絶体絶命の危機に陥るが、かろうじて危機を免れた
→エルサレムは神の都なので不滅だという迷信が生じる
預言者イザヤは、どんなときにあっても神に信頼せよと主張
 
b、ヨシヤの時代
BC622→宗教改革を断行
→神殿から見つかった「律法の書」に基づいて、偶像を一掃した。
→礼拝所をエルサレム神殿のみにした。
→アッシリアの弱体化に乗じて、かつての北イスラエルにも遠征した。
BCE609→メギドの戦いで、エジプトのファラオ・ネコに破れ、命を落とす。
→この後ユダ王国は、エジプトの支配下
ネコは、次の王エルヤキムをヨヤキムと改名→エジプトの統治権
BCE605→カルケミシュの戦いで、ネブカドネツァル王率いるバビロニア帝国が
エジプトに勝利
ユダ王国は、バビロニアの支配下に。
→朝貢の義務
ヨヤキムは、朝貢を中止したため、バビロニア軍がエルサレムを包囲。
ヨヤキン王を始め主だった人々がバビロンに捕囚となる(第1回捕囚)
ユダでは、ゼデキヤが王となる
ゼデキヤは、朝貢を中止したため、エルサレムはバビロニア軍に包囲され、
BCE587にエルサレムは陥落。→ユダ王国滅亡
→第2回バビロン捕囚
→エルサレム神殿の破壊
ユダは、バビロニア帝国の1州とされる。
(8)バビロン捕囚時代
@バビロン捕囚とは
→ユダの民がバビロンに捕らえ移されたこと
→主に、王侯貴族、祭司、手工業者などの上層階級
→強制労働などにもかり出されたが、比較的自由であった 。
→自分たちの共同体を作ることができた(ユダヤ人の共同体)
→家族を持つこと、畑を作ることなどもできた
→聖書の編集なども行われた
→3回行われた
→@第1回捕囚:BCE.598年、3023人
→A第2回捕囚:BCE.587年、832人
→B第3回捕囚:BCE.582年、745人→→合計4600人
 
Aエゼキエル
第1回捕囚の時に、ヨヤキン王らと共にバビロンに移された
エルサレム神殿の祭司として上層階級に属した。
彼は、捕囚の第5年(BCE.593)に預言者として召命を受けた。
預言者→神の言葉を取り次ぐ者。
本国ユダ王国は、まだ存続していた。
しかし、ユダ王国の人々は十戒に反するような大きな罪を犯していた。
→偶像礼拝、殺人など。
そこで、エゼキエルは、人々の罪を非難し、悔い改めを求めた。
そして、神による裁きを預言した。
そして、預言通りに、エルサレムはバビロニア軍によって陥落した。
神殿も破壊され、神の箱も焼失した。
バビロン捕囚の地にいたユダヤ人も皆絶望状況に陥った。
エゼキエルは、そのような絶望状況にある人々に希望を与える活動をした。
枯れた骨が生き返る幻を見た。
枯れた骨→絶望の中にある捕囚の民
国家が滅亡したが、神が必ず救いを与えてくれると、希望を持つような預言を
した。
また、破壊された神殿も再建されることを預言した。
 
B申命記的歴史家
エルサレム滅亡という出来事を目の当たりに見て、神の民であるイスラエルが
滅ぼされ、神の住まいであるエルサレム神殿が破壊されたのは何故か、と言う
関心のもとに、この歴史をまとめた。
→→ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記
「申命記的歴史」→→この歴史が、申命記の精神に基づいていたから
申命記の中心は、ヤハウェを「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして愛す
る」こと(6:5)
それ故、偶像礼拝は最も非難されるべきこと。
そこで、ヤハウェに忠実な王は評価され(アサ、ヒゼキヤ、ヨシヤ)
多くの王は非難されている(アハブ、メナヘム、マナセ)
イスラエルの歴史全体は、常に神に背く歴史であったために、北のイスラエル
王国も、南のユダ王国も、神の裁きとして滅ぼされた、と言う歴史観。
しかし、申命記的歴史は、最後に捕囚となっていたヨヤキン王が、その捕囚か
ら釈放されて、バビロニアの王に厚遇を受けたという記事で終わっており、将
来に希望を残している(列王記下25:7-)
 
C第二イザヤ
彼は、イザヤ書40-55章の預言の作者。
彼の書は、「慰めよ、わたしの民を慰めよ」(40:1)という非常に優しい言葉で
始まっており、今までの預言者の厳しい口調とは対照的。
彼は、捕囚の民に、捕囚からの解放を伝えるために遣わされた預言者
彼は、召命を受けたとき、「主のために、荒れ野に道を備え、私たちの神のため
に、荒れ地に広い道を通せ」という天の会議での声を聞いた(40:3)。
ユダ王国を滅ぼしたネブカドネツァルの死(前562年)の後、バビロニア帝国は、
急速に衰微し、第二イザヤが活躍したのは、帝国最後の王ナボニドスの治世
(前556-539)の時代。
一方この時代、新興ペルシアが初代の王キュロスのもとに次第に勢力を伸ばし
ていた。
第二イザヤは、キュロスを、主から遣わされた解放の使者として捉え、彼のこ
とを「主が油注がれtが人(メシア)」とまで言った(イザヤ書45:1)。
彼は、前539年にバビロンに無血入城してバビロニア帝国を倒した。
翌538年に、「キュロスの勅令」を出して、捕囚のユダヤ人を解放した。
そして、それに基づいて、バビロン捕囚の一部のユダヤ人は、故国エルサレム
に帰還した。
そのときの指導者が、捕囚になったユダの王ヨヤキンの息子のシェシュバツァ
ルであった。
キュロスは、きかんの民に、神殿が破壊されたときにバビロニアに奪われてい
た祭具類を返還した。
第二イザヤ書の後半部分は、もはやキュロスの名は出ず、「主の僕の歌」が中心
(42:1-4,49:1-6,50:4-9,52:13-53:12)。
そのクライマックスは、53章の「主の僕の苦難と死」。
この「主の僕」が誰であるかについては、古来多くの意見があるが、未だに一
致を見ていない。→初期のキリスト教では「イエスの預言」と理解された。
→→最初の帰還の指導者であったシェシュバツァルは、ダビデ家の子孫である
ので、メシアとして期待された。
しかし、ペルシア政府は、宗教には寛容であったが、ユダの民の政治的独立は
認めず、弾圧が加えられ、その結果シェシュバツァルは、人々の身代わりにな
って、処罰を受けた。
(9)ペルシア時代
 前552:キュロス→メディアの王アスティアゲスを倒す
 前558-529:キュロス→メディアとペルシアの王として即位
 前539:キュロス→バビロニア帝国を倒す(バビロンへの無血入城)
 前529-522:カンビュセス→エジプトをも支配し(前525)、西オリエント全域
      を支配(イラン、メソポタミア、小アジア、シリア、パレスチナ、
      エジプト)
 
a、神殿の再建
 ペルシア帝国→宗教的には寛大
 前538:キュロス→勅令を出し、バビロン捕囚になっていたユダヤ人を解放
        →エルサレム神殿の再建を許可、ネブカドネツァルが没収し
         ていた神殿の宝物を返却
        →再建の費用もペルシアの国庫から補助
 前538:第1回エルサレム帰還→ヨヤキン(ダビデの子孫)の息子のシェシュ
    バツァルが指導者。
   帰還した人々によって、神殿再建事業の開始。しかしまもなく頓挫
   →エルサレムは荒廃していた
   →干ばつが続き、自分たちの生活を優先させた。
   →サマリアの総督に妨害された
 前520:ダレイオスT世→宗教的寛容を示し、キュロスの勅令の有効を宣言。
   ゼルバベル(ヨヤキンの孫、ダビデ家の者)→バビロンから帰還し、再
   建の事業を指導。
   預言者ハガイとゼカリヤも再建事業を奨励。
 前515:第二神殿完成
  →ゼルバベル、民族的英雄とされ、ユダヤのメシア(王)に即位されよう
   とした。
  →ペルシア政府は、宗教には寛容であったが、政治的な独立は認めず、ゼ
   ルバベルは処罰された(処刑?)。
 これいご、きかんのゆだやじんは、非政治的な宗教共同体として存続。
 
b、ネヘミヤ、エズラの活動
 ペルシア時代の当初、ユダヤはサマリア州の一部→サマリアの総督の管轄下
 ネヘミヤ→ユダヤを独立した州に格上げすることに努力
  →彼は、アルタクセルクセス王(前464-424)の側近となっていた(出世し
   たユダヤ人)
  →前445:王によって総督に任命され、エルサレムに派遣
  →エルサレムの城壁の建設
  →これによって、エルサレムはユダヤ州の州都に昇格
 エズラ→ペルシア政府の公の職(「天にいます神の律法の書記官」)としてエ
    ルに派遣
   →「神の律法」→五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命
    記)→トーラー(聖書として成立)
   書物の宗教としてのユダヤ教が成立
 ペルシア時代に、エルサレム神殿と並んで、各地にシナゴーグ(会堂)が作
  られていった。