キリスト教と人間(文学部)
 
目   次
(1)オリエンテーション、アダムとエバ(天地創造、人間とは)
(2)楽園喪失、カインとアベル(罪と罰)
(3)ノアの洪水(罪と罰と新たな出発)
(4)アブラハム(信仰)
(5)モーセ(解放=救い)
(6)ダビデとソロモン(大いなる賜物)
(7)旧約聖書の預言者たち(神の使者)
(8)マリア(偉大な女性たち)
(9)イエスの弟子たち(ペトロ、ヤコブ)
(10)パウロ(迫害者から伝道者へ)
(11)マルティン・ルター(宗教改革者)
(12)マザー・テレサ(愛の実践者)
(序)オリエンテーション
   授業の諸注意  授業は講義形式→よくノートをとること
           出席は時間の都合上とらない
           評価は、学期末の試験による
           私語は慎むように
   授業内容 人間とは何か、人間はいかに生きるべきか。
        このような問題は、古くから考えられてきた重要な問いであ
        る。このような問題について、聖書では、キリスト教では、
        どのように考えられてきたであろうか。具体的な人間の生き
        方にふれながら考えていきたい。
   教科書 『聖書 新共同訳』(聖書にはいろいろな訳がある)
   参考文献 樋口進『旧約聖書は何を語るか』新教出版社
   評 価 基本的に学期末の試験による
(1)アダムとエバ(天地創造、人間とは)
 a、聖書の冒頭(創世記1-2章)→天地創造の物語
  1章の記事と2章の記事は、創造に関する2つの版
  1章→P(祭司)資料→バビロン捕囚の時代(BCE.6C)←バビロニアの創
     造神話の影響
  2ー3章→J(ヤハウィスト)資料→ダビデ・ソロモンの時代(BCE.10C)
  P(1章)→7日で創造した
   第1日目→光の創造、光と闇を分ける
        光を昼と呼び、闇をよると呼んだ→神の昼と夜への支配
   第2日目→大空(ラーキーア)の創造
        上の水と下の水を分けた→秩序
   第3日目→陸と海の分離
        乾いたところを地と呼び、水の集まった所を海と呼んだ
        植物の創造
         植物も種類分け(穀物と果物)→動物と人間の食べ物
   第4日目→天体の創造
        二つの光るもの(太陽と月)→古代オリエントでは神
   第5日目→魚と鳥の創造
        「生めよ、増えよ」という祝福の言葉
   第6日目→陸の動物(家畜、這うもの、地の獣)の創造
        人間の創造(男と女)
  J(2−3章)→人間の創造に関心(天地の創造はない)
   2:7→神は最初「土(アダマ)の塵で人(アダム)を造り、その鼻に命の
     息を吹き入れた」
    →そして、エデンの園(「喜び」という意味)に置かれた。
   2:18→「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」
    →人間は、人との関係において生きる存在
    →そして、あばら骨から女を造った
    →この女は後にエバ(いのち)と名付けられた。
 
  b、人間の創造(人間観)
    「人間とは何か」というテーマ→昔からある
    一般に:homo sapiens→賢いもの、知恵あるもの
        homo faber→道具を使うもの
        homo esperans→希望を持つもの
        homo ludens→遊ぶもの
    @旧約聖書では、神によって創造された被造物
     P→1:27          J→2:7
       「神のかたち」       「人」→アダム
       Imago Dei          土→アダマー
       人間の優秀さ        「土の塵」→人間のちっぽけさ
    Aしかし、すべての被造物を治めるものとして造られた
      →自然界の保護、管理の務め
      P→1:28「地を従わせよ」   J→2:19
          「生き物を支配せよ」   名をつける→支配を表す
    B男と女に造られた
      P→1:27           J→2:18
        最初から男女に        「彼に合う助ける者」
       →人間は1人で生きる者ではなく、助け合って生きる者
(2)楽園喪失、カインとアベル(罪と罰)
 創世記3−4章(J)→人間の罪の問題
@楽園喪失の物語(失楽園)3章→原罪(神に対する罪)
 →三浦綾子『氷点』のテーマ
 聖書における罪→人間を創造した神の戒めを守らないこと
 楽園→豊富な食べ物があり、どの木から食べてもよかったが、「善悪の知識の
  木」からは食べてはならないという戒め。禁断の木の実
 蛇→誘惑するもの(後のサタン)→人間を神から引き離そうとする力
  →これは常に人間の欲に働きかける
 蛇の誘惑→「神のように善悪を知る者となる」
  「善悪を知る」とは、すべてを知るということ
  →人間はすべてを知りたいという欲がある
 この誘惑に負け、アダムもエバも禁断の木の実を食べる
 →死ぬことはなかったが、羞恥心が起こる←原因物語
 神に問われたとき、アダムもエバも言い訳をする
  →アダム:「女が与えたので食べました」→女に責任転嫁する
  →エバ:「蛇がだましたので、食べました」→蛇に責任転嫁する
 罰として、女には産みの苦しみが、アダムには労働の苦しみが与えられる
  →原因物語
 罰→楽園追放→エデンの東に
  しかし、神は二人に皮の衣を贈る→神の恵み
 エデンの園は、ケルビムが守る
Aカインとアベルの物語(4章)→人に対する罪(殺人)
 アダムとエバの子
  カイン→農耕者になる
  アベル→牧羊者になる
 古代社会の生産様式:狩猟→牧畜→農耕(定住)
 2人は神に献げ物を献げる
  カイン→農耕の産物
  アベル→羊の子
 神は、アベルの献げ物を喜び、カインの献げ物を喜ばなかった
  なぜ→?
   ひとつの説明→著者は牧畜に好意的
   シュメールの神話「ドゥムージー(牧畜神)とエンキドゥー(農耕神)」
  しかしこれは、不条理の問題→この世には説明のつかない不条理がある
  そういうとき、どうするかは、人間に与えられた課題
  カインは、弟に嫉妬し、怒りを覚え、ついには殺してしまう。
  神の罰→地の放浪者となる
  神の恵み→カインに危害を加えないように、しるしを付けた。
(3)ノアの洪水、バベルの塔(罪と罰と救い)
@ノアの洪水(創世記6-9章)
 →二つの資料
  J資料(前10世紀)
  P資料(前5世紀
 →古代オリエント(メソポタミア)にも似た話
  ギルガメシュ叙事詩(前2000年頃)
  アトラム・ハシース物語(前200年頃)
  →このような物語の背景→チグリス・ユーフラテス川の氾濫
   →パレスチナには、大洪水を起こす大きな河はない
 「ノアの洪水物語」→メソポタミアの洪水物語の影響
  しかし、思想的に深化
 洪水の原因:ギルガメシュ叙事詩→不明(欠損?)
       アトラム・ハシース物語→地上に人間が増え、喧騒になったの
        で
       ノアの洪水物語→人間の罪
        J→「地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い
          計っていた」 
        P→「地は神の前に堕落し、不法に満ちていた」
          「堕落」→神を畏れない
          「不法」→暴力
 神の罰→大洪水によって滅ぼす
 しかし、人類をすべて滅ぼすのでなく、ノアとその家族、及び動物を救う
 大きな箱舟を造らせる→これはメソポタミアの洪水物語も同様
  大きさは、長さ165m、幅27m、高さ16.5m
  そこに、ノアとその家族(8人)、動物一つがいが入る。
  人が動物の世話をしたであろう。
 40日間雨が降り続き、人も動物をすべて滅びた。
 150日後に箱舟は、アララト山に止まる。
  アララト山→トルコ東端の山(5,137m)
 ノアは、鳥を放って水が引いたかを調べた(烏、鳩、鳩)
  →ギルガメシュ叙事詩にも同じ記述
  二度目の鳩は、オリーブの葉をくわえて戻る
   オリーブ→平和の象徴
 ノアは、船を下り、まず祭壇を築いて、犠牲の動物を献げた。
 その後、空に虹がかかる
 「ノアの契約」→神は再び人類を滅ぼさないと誓う。→神の恵み
 
Aバベルの塔の物語(創世記11:1-9)→J資料
 バベル→バビロン
 バビロンには、ジッグラトという高塔神殿があった
 それをもとに作られた物語
 世界は同じ言葉を使っていた
 人間は、頂上が天に届くような塔を建てようとした→人間の傲慢
 それは、罪となった←聖書において人間が神のようになることは許されてい
  ない
 罰として、言葉が乱され(バラル)、コミュニケーションが取れなくなった。
 人々は、町の建設をやめ、各地に散らばった。
(4)アブラハム(信仰の人)
  族長:イスラエル民族の先祖(アブラハム、イサク、ヤコブ)
  元々、メソポタミアに住んでいた。
  →カルデアのウル(古代シュメールの首都)
  父と共にウルからハラン(ユーフラテス川上流)に移動
  →前18世紀のアラム人の部族集団の移動と関係
  父の死後、ハランからカナン(パレスチナ)に移動
  (アブラハムと妻サラと甥のロトと)
  →イスラエルの先祖は、アラム(ユーフラテス川上流)から、羊や山羊な
   どの小家畜を連れて(半遊牧民)聖書の舞台であるカナンに移動してき
   た集団。
  アブラハムの人物
  @召命に従う(神に召し出されること)→預言者はすべてそう
   「故郷を離れて、わたしが示す地に行きなさい」(創世記12:1)
   →アブラハムは素直に従う
   →「わたしが示す地」=聖書の舞台であるカナン(パレスチナ)
   →シケム(カナンの中心地)に着くとそこに祭壇を建てて、礼拝をした
   →神に「子孫にこの土地を与える」(創世記12:7)という約束を受ける。
  A寛容な精神の持ち主
   ロトと分かれて住むことになったとき、ロトにいい方の土地を選ばせる
   →ロトは、死海の南の肥えた土地ソドムを選びそこに住む
   →しかし、ソドムは邪悪の故に神によって滅ぼされようとした。
   →そのときアブラハムは、甥のために一生懸命取りなす。
   →その結果、ソドムが滅ぼされるとき、ロトとその家族は、助け出され
    る
   →しかし、ロトの妻はそのとき後ろを売り帰ったために塩の柱とされた。
    →原因物語
  B信仰の人
   →アブラハムには、高齢になるまで子供が生まれなかった。
   →アブは最初、養子を取って、家督を継がせようとした。
   →妻サラは、自分の女奴隷のハガルによって、子どもを得ることを提案
   →それによって、イシュマエルという子供が生まれる
   →しかし神は、妻サラから子供が生まれることを約束し、アブラハムは
    それを素直に信じる
   →ある時、3人の天使がアブラハムを訪れ、来年に男の子が与えられるこ
    とを約束する。
   →妻サラは笑って信じなかったが、アブラハムは素直に信じる。
   →約束通り、男の子が生まれ、イサク(「彼は笑う」という意味)と名付
    ける。
  C家庭の問題
   イシュマエルがイサクをからかうのを見て、サラはハガルとイシュマエ
    ルをイエス・キリストから追い出すように、アブラハムに頼む。
   アブラハムは、妻の願いを受け入れて、二人を砂漠に追い出す。
   二人は、アラビアの方に生き、イシュマエルは、アラブ人の先祖となる
   →その子孫からやがて、イスラム教が生まれる
   →イサクの子孫はイスラエルとなり、そこからユダヤ教が生まれる
   →それ故、アラブ人とユダヤ人は兄弟民族
   →アブラハムは、両民族の共通の先祖(ヘブロンのアブラハムの墓はユ
    ダヤ教徒にもイスラム教徒にも大切にされている)
  D神による試練(創世記22章)
   ある時、アブラハムはせっかく生まれ対策を焼き尽くす献げ物に献げよ
    と命じられる。
   アブラハムは大いに苦しんだ後に、神の命令に従い、イサクを連れてモ
    リヤの山に向かう
   「モリヤの山」→エルサレムの山、現在イスラム教の「黄金のモスク」
    が建てられている場所。
   アブラハムが、イサクを献げようとしたとき、天使によって止められ、
    その代わりにそこにあった雄羊を献げる。
   アブラハムは、そこを「ヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる」と名
    付けた。
(5) モーセ(解放者)
 前13世紀後半、イスラエルの民はエジプトで奴隷であった。
 モーセは、その奴隷の民をエジプトから救い出した
 →「出エジプト記」
 →映画「十戒」
 当時のエジプトの王(ファラオ)は、ラメセスU世(前1290-1224年)
 奴隷を使って、巨大な建築事業を展開。
 出エジプト記で、イスラエルの民は「ヘブライ人」と言われている。
 →人種ではなく、社会層
 →外国から移住してきた者で、自分の土地や市民権を持たず、そこの権力者
  によって強制労働などにつかされていた階層。
 そのヘブライ人の1人としてモーセは誕生
 ファラオは、男子が増えるのを恐れて、男の赤ちゃんを殺させた。
 モーセの両親は、赤ちゃんを殺すのに忍びなく、パピルスで編んだかごの中
  に赤ちゃんを入れて入れてナイル川に流す。
 それを、ファラオの娘が拾い、自分の子として育てる。
 モーセは、大きくなったとき、自分が奴隷の子であることを知り、奴隷の監
  督であるエジプト人を殺す。
 王の報復を恐れて、東の荒れ野(ミディアン)に逃げる。
 ミディアンの地で、羊飼いの娘と結婚し、羊飼いとして生活する。
 ある時、羊を追ってシナイ山の所に来たときに、神に出会い、神の召命を受
  ける。
 そして、エジプトに行って、奴隷であるイスラエルの民を救い出せと命じら
  れる。
 エジプトにおいて、ファラオと交渉し、いろいろな奇跡を起こして、ついに
  奴隷の民をエジプトから連れ出すことに成功。
 しかしその後、ファラオは軍隊を率いて逃亡者一行を追跡する。
 イスラエルの民は、海に追い詰められて、絶体絶命に危機に遭遇する。
 そのとき、モーセは、神から与えられた杖を海にかざすと、海は二つに割れ、
  イスラエルの民はその間を通って、向こう岸に渡った。
 エジプトの軍隊もその跡を追跡したが、海が元通りになり、皆おぼれてしま
  った。→「海の奇跡」として、後々まで伝承される。
     →元来は、強い東風が吹いてきたという自然現象であったであろう。
 モーセは、救い出した、イスラエルの民を、シナイ半島の南のシナイ山に連
  れて行き、そこで、神から「十戒」をもらう。
 十戒
 序:神の自己紹介「わたしはヤハウェ、あなたをエジプトの国、奴隷の家か
   ら導き出した神である」
 @「あなたは、わたしのほかに何者をも神としてはならない。」
  →唯一神信仰
 A「あなたは、自分のために、刻んだ像を造ってはならない。」
  →偶像の禁止
 B「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。」
  →ヤハウェという名を、呪いなどに用いてはならない。
  →後にhwhyを「アドナイ(主)」と発音され元来の発音がわからなく
   なった。
 C「安息日を覚えて、これを聖とせよ」
  →安息日(土曜日)には、仕事をしてはならない。
 D「あなたの父母を敬え」
 E「あなたは、殺してはならない」
 F「あなたは、姦淫してはならない」
 G「あなたは、盗んではならない」
 H「あなたは、隣人について偽証してはならない」
 I「あなたは、隣人の家をむさぼってはならない」
 その後イスラエルの民は、シナイを出発してカナンに向かうが、罪を犯した
  ために、40年間荒れ野を放浪することになる。
 数々の試練を与えられるが、その時々に神の救いも与えられる。
 水や食糧の不足→岩から水が出る。天からマナが降る。
 モーセは、カナンの直前のピスガの山で死ぬ。
(6)ダビデとソロモン(偉大な賜物)
a)ダビデ
ダビデは、初めてイスラエルに世俗の王権を確立。
広大な王国を建設し(前1000年頃)、聖書において最も尊敬されている人物の 
 1人
今でもダビデは、イスラエルでは英雄。
→国旗は、「ダビデの星」
→ダビデをたたえる民謡、大きな通り(ダビデ通り)、大きなホテル(ダビデ王ホ
 テル)など。
@出身
ベルレヘム(イエス誕生の地)羊飼いエッサイの8人の息子の末っ子。
ダビデ自身もベツレヘムで羊飼いをしていた。
預言者サムエルによって油を注がれ、将来の王を約束された。
ペリシテ人の大男ゴリアトと戦い、羊飼いの石投げ紐で倒す。
その後、サウル王に部下として召し抱えられる。
Aサウル王の迫害
彼は最初、サウルの部下として仕えた。
しかし、彼は戦いにおいて次々と武勇を立てたので、サウルに妬まれた。
そして、サウルにいのちを狙われるようになった。
そのような精神不安定なサウルをダビデはハープで慰めた。
ダビデはサウルにいのちを狙われたので、逃亡生活をする。(エンゲディ)
彼は、サウルを殺すことのできる機会もあったが、神の選んだ王を殺すことは
できないとあえてしなかった。→寛容な心の持ち主
B政治的手腕
逃亡生活中に出身地のユダの指導者といい関係を続ける。
サウルがギルボア山での戦いで戦死した後、ユダの王に任命された。
彼はヘブロンで7年間ユダの王として働いた後、イスラエルの王にも任命され、
 統一王国の王となった。
サウルの娘と結婚していたことも有利に働いた。
イスラエルの首都を定めた→エルサレム(カナン人の町を武力で占領)
この町は、ユダとイスラエルのちょうど中間にあって、全体を治めるには位置
 的に非常に都合がよかった。
さらに彼は、そこに部族連合の聖所であった「神の箱」を運んだ。
→エルサレムは、宗教的な中心地→聖地→現代に至るまで。
→現代は、3大宗教の聖地(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)
 →神殿(嘆きの壁)
 →キリスト教(ヴィア・ドロローサ、イエスの十字架の場所、聖墳墓教会)
 →イスラム教(ムハンマドが昇天した場所に黄金のモスク)
その後ダビデは周辺の小国を征服し、ひとつの大国を築いた。
Cダビデの弱さ
部下(ウリヤ)の妻(バト・シェバ)と不倫。
ウリヤを激戦地に送り戦死させる。
その後バト・シェバを自分の妻にする。
→預言者ナタンに断罪される。
→ダビデは悔い改める。
晩年は後継者争いで家族に次々の悲劇が起こる←ダビデの優柔不断
b)ソロモン
王位継承の争いの結果、勝利したのはバト・シェバの息子ソロモン。
ダビデの王国は、領土的にも民族的にも財政的にも膨大なものであり、ソロモ
 ンのもっぱらの務めは、この遺産を維持・管理すること。
常備軍の制度を整えた→馬にひかせる戦車をエジプトから導入。
数々の建築事業
 →エルサレム神殿の建築(7年かかって豪華なものを)
  →神殿の奥の至聖所に「神の箱」を安置
  →神の住まいとして、エルサレムの非常に聖なる場所となった。
 →王宮の建築(13年かかって豪華なものを)
 →全国から強制労働者を集めた→後に民衆の不満
 →徴税の制度を整えた→後に民衆の不満
諸国との貿易を盛んにし、それによって莫大な利益を得た。
 →パレスチナは地下資源はないが、通路の国。
 →ソロモンの栄華
 →アラビア半島の南のシェバから訪ねてきた女王もソロモンの宮殿の豪華さ
  をみて圧倒された。
ソロモンは、知恵者としても有名
 →『箴言』や『コヘレトの言葉』の著者とされた。
 →彼の知恵は、夢で神によって与えられた。
 →ソロモンの裁き
 →シェバの女王の難問をすべて解いた。
 →今でいう「動物学」「植物学」の知識にも秀でていた。
しかし、強制労働や重税のため民衆の不満も多く、しばしば反乱が起こり、死
後は国は二つの分裂する。→北:イスラエル王国
→南:ユダ王国→ダビデ家がついでいく。
(7)旧約聖書の預言者たち(神の使者)
「預言者」とは、ギリシア語ではプロフェーテース→「(神の言葉を)公に語る
もの」
自ら志願してなるのでなく、神の召命によった。
職業としてなるのでなく、無報酬であった
 (それを職業とする預言者もいた→「職業的預言者」)
 ←→正典的預言者
集団を形成せず、単独で行動した。
神の言葉を受け取り(託宣)、それを人々に伝えた。
神の言葉→多くは厳しいもの
→罪の告発、裁きの宣告
→そのために預言者は、しばしば迫害を受けた。
 
a、エリヤ
前9世紀、北イスラエルで活躍
北イスラエルの王アハブは、フェニキアの王女イゼベルと結婚
イゼベルは、バアルの神の崇拝を強要し、ヤハウェの礼拝を禁止した。
 ヤハウェの預言者は、皆殺され、エリヤだけが残った。
 エリヤは、迫害を逃れ、山の中に身を隠した。
 カラスが食べ物を運び、かろうじて生き延びた。
イスラエルが大飢饉に見舞われたとき、カルメル山でバアルの預言者450人と対
→列王記上18章
→エリヤは大勝利を収める
 しかし、イゼベルはなおエリヤの命をねらう。
そこでエリヤは、ヤハウェと出会うために神の山ホレブ山に向かう。
そこで、バアル礼拝を滅ぼすために、後継者を選ぶことを命じられる。
→実際のその後、イスラエルに革命が起こって、バアル礼拝は滅ぼされる。
ナボトのブドウ畑事件(列王記上22章)
 ナボトはイズレエルの地にブドウ畑をもっていた。
 アハブはそこを気に入り、売ってもらう交渉をした。
 しかし、ナボトはそれを断る→「嗣業の地は、他人に譲ってはならない」と
いう法
 そこで、イゼベルが策略を遣って、ナボトを殺し、土地を奪う。
 →これは十戒に違反
 そこで、エリヤが断罪のため遣わされる。
エリヤは、最後は神だとは言われずに、「つむじ風に乗って昇天した」と言われ
ている。
 →そこから、メシアとして期待される。
 
b、アモス(前8世紀)(神の正義を主張した預言者)
最初の記述預言者
その召命記事→アモス書7:10−15
彼は元々南ユダで羊飼いであった
神によって、北イスラエルに行って預言せよとの使命を与えられた。
そこで、イスラエルの指導者階級の罪を告発し、裁きの宣告をなした。
特に、弱者を虐げる支配者階級に。
→2:6−8(P.1430)
その最大の告発は、ヤロブアム王に対して(7:11)
→「ヤロブアムは剣で殺される。イスラエルは、必ず捕らえられて、その土地
から連れ去られる。」
アモスは、ベテルの祭司アマツヤによって追い出され、故郷のテコアに帰る。
2年後に、地震が起こり、アモスの預言が権威を持つようになった。
彼が最も主張したのは、「正義の恵みの業」(5:20)
 
c、ホセア(神の愛を主張した預言者)
前8世紀の後半、北イスラエルの宗教都市ベテルで活動。
ヤハウェ礼拝が豊穣の神バアル礼拝と混交されていたことを批判。
ホセアの結婚生活→1,3章
 淫行の女ゴメルと結婚するように命じられる→実行
 3人の子供に不吉な名をつけるように命じられる→実行
 長男:イズレエル→大量殺戮が行われた場所→イスラエルの罪を示す
 長女:ロ・アンミ→憐れまれぬ者→神はもはやイスラエルを憐れまない
 次男:ロ・ルハマ→わが民でない者→契約の解消→厳しい裁き
 3章では、再びゴメルを愛せよ、と命じられる。→神の普遍の愛
 
d、イザヤ(平和の預言者)
紀元前8世紀、アッシリア帝国による脅威の時代に活躍
シリア・エルサレムライム軍がエルサレムを攻撃したとき、王に「恐れてはな
らない、(軍事力に頼むのでなく)ただ神のみにより頼め」と勧告した。
→軍事力は、真の助けにはならない→31:1-3(P.旧1110)
イザヤは「平和主義者」で、平和を主張。
9:5-6(P.旧1074)→平和を実現する1人のメシアの到来を預言
「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたち
に与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永
遠の父、平和の君」と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し/平和
は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって/今もそしてとこしえに、立
てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。」
キリスト教では、この預言者イエス・キリストにおいて実現したと理解。
2:1-5(P.旧1063)→終末の平和の預言
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/
槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばな
い。」(4節)
11:1-10(P.旧11:1-10)→自然界の平和
「狼は小羊と共に宿り/豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち/小さ
い子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ/その子らは共に伏し/獅子も牛
もひとしく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ/幼子は蝮の巣に手を入
れる。」(6-8節)
重要なメシア預言も行う
→7:14(P.旧1071)→処女降誕の典拠
「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。」
→キリスト教では、この「男の子」はイエスと解釈→イエスは乙女マリアから
生まれた。
 
e、エレミヤ(苦難の預言者)
前7世紀後半、ユダ王国がバビロニアによって滅ぼされる時代に活躍
彼は、バビロニア(ネブカドネツァル王)が、神の使者であって、彼の降伏す
ることが神の意志であると預言。
そのために、多くの人(特に権力者)から迫害を受けた。
何度か殺されかけた。
そして、彼の預言通り、ユダ王国は、バビロニア(ネブカドネツァル王)によ
って滅ぼされた。
多くの人は、バビロン捕囚となったが、彼は自由を与えられ、ユダにとどまっ
た。
しかし、バビロニアに反発を持つ人々にエジプトに連れて行かれ、そこで生涯
を終えた。
彼は、どんなときにも神に信頼し、人々に慰めと伝えた。
また、彼は、「新しい契約」が与えられる預言をした。
→31:31-35(旧1237)→キリスト教ではこれはキリストの預言と理解された。
 
f、エゼキエル(希望の預言者)
前598年の第1回バビロン捕囚で、バビロンに連行された1人
元来エルサレム神殿の祭司→上層階級
バビロンの地で預言活動
前587年にエルサレム神殿が破壊されたニュースを聞いたとき、捕囚の人々は絶
望状況に陥った。
そのときエゼキエルは、「枯れた骨の復活」幻を見た。
37:1-10(P.旧1357)
「枯れた骨」→人々の絶望状況を表す。
「枯れた骨が復活する」→絶望状況にあった人々に希望が与えられる。
彼は、破壊された神殿が再建される幻も見、人々に希望を与えた。
 
g、第二イザヤ(慰めの預言者)
イザヤ書40-55章の部分を預言した無名の預言者。
彼もバビロン捕囚の地で活動。
バビロニアが弱体化し、ペルシアが興隆した時代。
彼は、ペルシア帝国(キュロス王)がバビロニアを倒して、捕囚の民を解放し
てくれることを預言。
預言通り、前539年、キュロスは、バビロンに無血入城し、バビロニアを倒す。
そして、「キュロスの勅令」を出して、捕囚の民を解放した。
捕囚の人々は、故郷エルサレムに帰還することができた。
彼はまた、「主の僕の歌」というのを詠んだ。
53章(P.旧1149)→何の罪もない1人の人が人々の身代わりになって死んでいく
という内容。→キリスト教では、これはキリストの生涯の預言と理解。
(8)マリア(偉大な女性たち)
聖書には、たくさんのマリアがいる
→マリアは、ごく平凡な名
→聖書時代のユダヤ人の名前は、姓がなかった
→同じなの場合、父の名や出身地などで区別した
@イエスの母マリア
→キリスト教では、「聖母」(Holy Mother),「処女マリア」(the Virgin Mar
y)、「我らの貴婦人」(Our Lady→フランス語Notre Dame)、「神の母」などと言
われ、尊敬されている。
a)受胎告知
マリアは、ガリラヤのナザレの町の貧しい庶民の娘であった。
ヨセフという貧しい大工と婚約した。
まだ正式に結婚していないときに、天使ガブリエルより受胎告知を受ける。
ルカによる福音書2:26-38(P.100)
マリアは最初、結婚前に妊娠するはずがない、というが、神の力によるのだと
聞いて、それを受け入れた。→マリアは、素朴な純粋な信仰の持ち主
そして、一つの賛歌を歌った。
「マリアの賛歌」(ルカ2:46-56)→マグニフィカート(あがめる)
b)イエスの誕生(ルカ2:1-20)
ローマ皇帝アウグストゥスの「住民登録せよ」との勅令に従って、マリアとヨ
セフは、ベツレヘムに旅をする。
その旅先の家畜小屋で、男の子をを出産
→その子にイエス(「救い」という意味)と名付けた。
その後、ヘロデ王の迫害を受けて、一時エルサレムに逃避
ヘロデが死んでから、故郷ナザレに帰る。
彼女は、夫ヨセフとの間に、少なくとも6人の子がいた。
夫ヨセフは、早く死んだようだ。
長男であったイエスが、大工の仕事をして、母マリアを助け、一家を支えたよ
うだ。
イエスの働きを、マリアは余り理解していなかったようである。
「イエスが気が変になっている」と聞いて、他の子供たちと取り押さえてきた
(マルコ3:21)
c)イエスの十字架
イエスが十字架にかけられたとき、マリアはそのそばで見守った。
(ヨハネ19:25)
そのとき、イエスは、十字架の上から愛する弟子に母を頼むと言った。
遺体を抱いて嘆くマリアの主題は、「ピエタ」と言われ、多くの哀歌や彫刻家が
描いた→ミケランジェロの「ピエタ」(サン・ピエトロ大寺院)
聖霊降臨日にマリアは他の弟子たちと一緒にい、最初の教会のメンバーになっ
たと思われるが、その後の消息はわからない。
 
Aマグダラのマリア
→マグダラというのは、恐らく地名→マグダラ出身のマリア
→ガリラヤ湖の西岸の町、漁業が盛んであった
マリア→ガリラヤ伝道の時に、イエスに従った多くの人々の1人
彼女は、7つの悪霊をもっていたが、イエスによって癒された(ルカ8:2)。
→「7」は、数ではなく、悪質な病を意味する。
「罪深い女」(ルカ7:37)とも言われている。
→この女は、イエスの足に香油を塗った。
→これにより、しばしば娼婦であった、と解された。
12弟子と共に、イエスに熱心に従った。
イエスがエルに向かったとき、その一団の中におり(マルコ15:40-41)、
イエスが十字架にかけられたとき、遠くよりイエスが息を引き取るのを見守っ
た(マルコ15:40)
日曜日の朝、イエスの納められていた墓を最初に訪れた
空の墓を見、天使からイエスの復活を他の弟子たちに伝えるように言われた。
→イエスの妻であったという伝説
→外典の中には、イエスと親密な関係にあったということが言われているもの
がある。
ルネッサンス以降、「マグダラのマリアの悔悛」を主題とする絵が多く描かれた
ダン・ブラウン『ダヴィンチ・コード』
→レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」
→ヨハネ13:21:イエスが最後の晩餐の席で、「この中にわたしを裏切ろうとし
ているものがいる」と言ったときの表情。
イエスの右隣が女性のような人物→マグダラのマリア
→金髪で、マグダラのマリアと同じ朱色の服を着ている(弟子のヨハネのこ
と)
(9)イエスの弟子たち(ペトロ、ヤコブ)
a、ペトロ
 本名は、シモン(シモン・ペトロと言われているところも)
 ペトロ→ギリシア名(「岩」という意味)
 イエスにより「ケファ」(「岩」という意味)と名付けられる。
 欧米では非常によくつけられる名。
 →英語Peter
 →独語Peter
 →仏語Pierre
 →伊語Pietro(サン・ピエトロ大寺院)
 元来、ガリラヤ湖で漁師をしていた。
 →ガリラヤ湖で捕れる魚→St.Peter's fish
 ガリラヤ湖で弟アンデレと漁をしていたときに、イエスに声をかけられ、弟
  子となった。→召命(弟子に志願したのではない)
 →ルカ福音書5:1-11
  イエスはシモンの船に乗って、沖から海辺にいる人々に話をし、その後シ
  モンに網を降ろすように言う。
  するとたくさんの魚がかかった。
 カファルナウムにペトロの家があり、イエスはそこを根拠にして活動をした。
 ペトロは、弟子のリストではいつも先頭。
 →マルコ福音書3:13-19。(シモン・ペトロ、ゼベダイの子ヤコブとヨハネ、
  アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤ
  コブ、タダイ、熱心党のシモン、イスカリオテのユダ
 重要なとき、いつもペトロはイエスのそばにいた。
 →マルコ9:2-8
  イエスは、ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて高い山に登る。
  イエスの姿が変わり、旧約聖書の人物エリヤ、モーセと出会う。
 →マタイ16:13-20
  フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、イエスは、弟子たちに「私は誰
  か」と尋ねたとき、ペトロは、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答
  えた。
  これに対してイエスは、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上に教会を建
  てる。わたしはあなたに点の国の鍵を授ける」と言った。
  →これにより、ペトロは、初代のローマ教皇とされた。
 しかし、イエスを裏切ることもあった。
 →マタイ26:69-75
  イエスが捕らえられたとき、ペトロだけが裁判の行われた最高法院に行く。
  そこで、ひとりの女に「あなたもイエスの弟子だろう」と言われたとき、
  「そんな人は知らない」と3度否んだ。
 イエスの死後、エルの初代教会の指導者となる。
 そして各地に伝道師、キリスト教を伝えた。
 外典「ペトロ行伝」
 →ローマに行って、伝道する。
  皇帝ネロの迫害の時に、逆さ十字架にかけられて殉教した。紀元67年。
 →ポーランドの作家シェンケビッチの小説『クオ・ヴァディス』は、これを
  題材。
  ローマでキリスト教徒が迫害されたとき、ペトロは遠くに逃げて行ってい
  た。
  そこで、イエスに出会う。
  ペトロは、イエスに「クオ・ヴァディス・ドミネ」(主よ、いずこへ)と尋
  ねる。するとイエスは、「キリスト教徒が迫害されているローマに」と答え
  る。
  それを聞いてペトロも、逃げてきた道を引き返し、ローマに帰り、そこで
  殉教する。
 ローマ・カトリック教会では、初代のローマ教皇
 →イエスより天国の鍵を受け取ったので。
 サン・ピエトロ大寺院は、ペトロの墓の上に立てられた、と言い伝えられて
 いる。
 ここの主祭壇の下には、ペトロの墓があるという伝承。
 
b、ヤコブ
 ゼベダイの子(イエスの弟子にはもうひとりヤコブというなの人物がいた)
 →アルファイの子ヤコブ(父の名で区別した)
 ペトロと同じく、ガリラヤ湖で漁師をしていた。
 イエスに直接召命を受け、弟子となる。
 ペトロと共に、常にイエスのそばにいた。
 エルサレム教会では重要な地位にあった。
 ガリラヤの領主ヘロデ・アグリッパにより殺され、殉教した。
 スペイン語で、サンチャゴ(Santiago)
 スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)
 には、ヤコブの遺骨が埋葬されているという伝承があり、世界中からの巡礼
 地になっている。
 →ローマ、エルサレムと並んでカトリックの三大巡礼地の一つ
 →巡礼の街道では巡礼者は、その証明に帆立貝の殻を荷物にぶら下げる。
(10)パウロ(迫害者から伝道者へ)
@パウロ→小アジアのタルソ生まれのディアスポラユダヤ人
    (ユダヤ名:サウロ)
    エルサレムで最高の教育を受け、ラビ(ユダヤ教の教師)となる
    家柄もよく、ローマの市民権を持っていた(ローマ名:パウロ)
    最初、キリスト教徒を迫害
    →ステファノは、その迫害において殉教
    ダマスコに迫害に行く途中に、復活のキリストと出会うという体験を
     して、回心
    アンティオキアの教会で活動
    →アンティオキアは、当時のシリアの中心都市で、ローマ、アレキサ
     ンドリアに次いで、世界第3の都会
    →早くからキリスト教が伝えられていた
    →聖霊降臨びの時からエルサレム教会のメンバーであったバルナバに
     よって伝えられていた。
    →バルナバは、アンティオキア教会の最も中心的な指導者であった。
    →パウロは、このバルナバに評価され、アンティオキアの教会に招か
     れた。
    →アンティオキアの教会の信者が、初めてクリスチャンと呼ばれた。
     →それまでは、ユダヤ教の一派と見なされていた。
     →しかし今や、ユダヤ教の一派ではなく、新たなキリスト教という
      宗教としてみられた。
A第1回伝道旅行
  キリスト教は、最初から、各地に伝道するという傾向が強かった。
  これは、キリストの遺言から来ている。
  →マルコによる福音書16:15(P.98)
  →ランバスもそう。
  バルナバとパウロとが、アンティオキアの教会から正式に派遣された。
  アンティオキア→オロンテス川の河口にある地中海の港町セレウキア
  そこから船で、キプロス島のサラミス
  キプロス島は、バルナバの故郷
  しかし、キプロス死まではさしたる成果もなく、伝道は成功しなかった。
  キプロス島のパフォス→→パンフィリア(現在のトルコ)のベルゲ
  そこから北上して、160キロほどの旅を続けて、ピシディアのアンティ
   オキアへ。
  そこから南島100キロほどの距離にあるイコニオン(コンヤ)
  →南方40キロにあるリストラ→南東50キロにあるデルベへ
  この4つの町には、教会(エクレシア:集まり)ができた。
  二人の伝道はどの町でも大体似ており、町にはいるとまず、ユダヤ人の会
   堂(シナゴグ)に入り、そこで福音を伝えた。
  福音を受け入れた人もいるが、一方ではユダヤ人たちから妨害されたり、
   迫害されたりもした。
  ピシディアのアンティオキアでは、迫害されて追い出されたので、足のち
   りを払い落として町を出た。
  リストラでのエピソード(使徒言行録14:8-15)P.241
B第2回伝道旅行
  シラスと共に、キリキアを通って、第1伝道旅行で建てた4つの教会、すな
  わちデルベ、リストラ、イコニオン、アンティオキアの教会を訪問した。
  リストラからは、テモテという人が同行した。
  最初、予定していなかった小アジアの西の端のトロアスに行く。
  ここでパウロは夢を見る。→16:9-10(P.245)
  トロアスからエーゲ海を越えて向かいがマケドニアであるが、これは大局
  的に見れば、アジアからヨーロッパへと言うことになる。
  すなわち、パウロがここで示された幻は、アジアで起こったキリスト教が
  ヨーロッパ世界に伝えられると言うこと。
  その後の世界史においては、キリスト教はむしろヨーロッパで栄えたこと
  を思うと、このパウロがマケドニアに渡ったのは大きな出来事。
  ここで「私たち」という語が出る。
  使徒言行録において、「私たち」という形で報告されている記事が何カ所か
  ある(6:10-17,20:5-15,21:1-8,27:1-28:16)。
  これは、使徒言行録の著者ルカによる福音書がパウロと行動を共にしたと
  きの記録であろう(「我ら資料」と言われている)。
  パウロはトロアスからマケドニアに船で渡り、ネアポリスに上陸し、ロー
  マまで通じているエグナティア街道に沿って、フィリピ、アンフィポリス、
  アポロニア、テサロニケの町々を通った。
  そして、フィリピとテサロニケには教会ができた。
  フィリピの町は、ローマの植民都市であり、ローマ人が大勢住んでいた。
  ここでは、リディアという裕福な婦人がパウロの語る福音を直ちに受け入
  れ、バプテスマを受けた(16:15)。
  それだけでなく、彼女の家が開放されて、そこで礼拝が行われた。
  このようにフィリピの教会は、1人の献身的な信者の協力によって建てられ
  た。
  しかし、あることから、パウロは獄に捕らえられた。
  しかし、神の不思議な導きにより、かえって獄吏の福音を伝える結果とな
  った(16:25-34)。
  テサロニケにおいても、多くの人がパウロの福音を受け入れて教会ができ
  た。
  テサロニケは、マケドニアの首都で、重要な都市であった。
  しかし、ここでもパウロは暴徒に襲われ、ベレアに逃れ、ベレアでも群衆
  の暴動にあったので、船でアテネに渡った。
  アテネは、ギリシア文化の栄えた町で、教養人の町でもあった。
  ギリシア神話の神々の像が多くあった。
  その主神は、ゼウス。
  その他にも、ゼウスの息子のアポロ、海に神ポセイドン、火の神プロメテ
  ウス、酒の神ディオニソス、豊穣の神アルテミスなど。
  しかし、十戒を重んじるパウロは、これらに怒りを覚えた。
  そこでパウロは、真の神を教えようとして、アレオパゴスという所で説教
  をした。
  17:22-23→P.248
  最後に「死人の蘇り」のことを説いたとき、アテネの市民はあざ笑った。
  そこでパウロは、すごすごとアテネから出て行った。
  →アテネには、教会ができなかった。
  その後、彼はコリントに行った。
  コリントは、アカイア州(ギリシア)の首都。
  港町で非常に栄えていた。
  コリントには、多くの国の人が集まっていた。
  ここでアクラとプリスキらという夫婦がパウロに協力し、パウロもここに
  1年半滞在して福音を宣べ伝え、多くの人が信者になった。
  コリントの教会は、パウロの建てた教会の中でも最も有力な教会となった。
  その後、船でエフェソにわたり、カイザリアに行き、エルサレムに上った
  後、アンティオキアに帰り、第2伝道旅行は終わった。
C第3伝道旅行
  ここでは、主に、第2伝道旅行の時に建てた教会を再度訪問し、その教会で
  起こった問題の解決に当たったり、教会の指導者を訓練したり、エルサレ
  ム教会への献金のお願いをしたりした。
  この伝道旅行の時に、多くの手紙が書かれた。
  エフェソでの事件(19:23-41)→P.252
Dローマへの旅
  エルサレムで捕らえられ、2年間獄につながれていたが、ローマの市民権を
  利用して、ローマで裁判を受けることを訴え、それが認められた。
  カイサリア→シドン→キプロスの北→ミラ→クニドス→クレタ
  →サルモネ岬→良い港
  その後、ユーラクロンと呼ばれる嵐によって、船が流され、マルタ島に漂
  着した。
  そこからシチリア島に行き、イタリア本土のレギオンに渡り、プテオリに
  上陸し、陸路ついにローマに到着した。
  28:30-31(P271)→エルサレムで始まったキリスト教がついに世界の中心
  地ローマに達した。
(11)マルティン・ルター(宗教改革者)
 1483年にドイツの小村アイスレーベンで生まれた。
 エルフルト大学で、法学を学ぶ。
 1505年、激しい雷雨に遭い、修道士になる決心をし、エルフルトの聖アウグ
 スチノ修道会にはいる。
 非常に厳しい修道生活を送った。
 ヴッテンベルク大学で哲学と神学を教える。
 パウロの「ローマの信徒への手紙」を研究しているとき、信仰義認を学ぶ。
 →人間は善行を積むことではなく、信仰によってのみ義とされる(救われ 
  る)。→塔の体験
 ローマのサン・ピエトロ大聖堂建設のため、ドイツで免罪符(贖宥状)が大
 々的に売り出された。
 テッツェルという人が、雄弁にこれを売り歩いた。
 「贖宥状を購入してコインが派にちゃりんと音を立ててはいると霊魂が天国
 へ飛び上がる」
 これに対して、ルターは1517年10月31日に、ヴィッテンベルク城教会の扉に、
「95箇条の論題」を貼りだした。
 →これは、ローマ法王への反逆と見なされた。
 ルターは、ザクセン選帝侯であったフリードリヒの庇護を受けた。
 ルターは、自説の撤回を教皇から求められたが、拒否。
 →友人は、火あぶりの刑に処せられたボヘミヤのヤン・フスと同じ運命にな
 ると警告したが、ルターは自説を曲げなかった。
 この後ルターは、『キリスト者の自由』など次々と著作を著し、自分の説主張
 した。
 1521年教皇レオ10世によって破門された。
 ルターは、身の危険にさらされたが、フリードリヒの庇護を受け、ヴァルト
 ブルク城にかくまわれ、聖書をドイツ語に翻訳する。
 新約聖書はギリシア語から、旧約聖書はヘブライ語から翻訳した。
 ルター訳聖書は、名訳として知られ、現在でも使われている。
 カトリック教会では妻帯は禁じられていたが、ルターは42歳の時にカタリー
 ナ・ヴォン・ボラという25歳の元修道女と結婚し、3男3女をもうけた。
 ルターを支持する人も多く、プロテスタント(抗議者)と呼ばれた。
 ルターはまた、讃美歌の作詞・作曲もした。
 「主はわが櫓」「深き悩みの淵より」など多くのコラールを残した。