関西学院大学・キリスト教学A(新約聖書概論)
 
目   次
(1)オリエンテーション、関西学院とキリスト教
(2)聖書概論
(3)新約聖書概論
(4)新約聖書の世界(ビデオ)
(5)イエスの生涯(1)
(6)イエスの生涯(2)
(7)イエスの教え(1)
(8)イエスの教え(2)
(9)キリスト教の成立
(10)パウロの活動(1)
(11)パウロの活動(2)
(12)パウロの思想
(13)黙示録と古代教会
(1)オリエンテーション、関西学院とキリスト教
   授業の諸注意  授業は講義形式→よくノートをとること
           出席は時間の都合上とらない
           評価は、学期末の試験による
           私語は慎むように
   授業内容 キリスト教の思想の基本である聖書について学ぶ
        春学期は、新約聖書について
        いろいろな資料を画像でも見せる
   教科書 『聖書 新共同訳』(聖書にはいろいろな訳がある)
   参考書 山口雅弘『よく分かる新約聖書の世界と歴史』日本キリスト教
       団出版局、2003年。
   関西学院において、なぜ「キリスト教学」が必修であるのか。
   →関西学院の教育方針が創立以来「キリスト教主義に基づいて行う」と
    されているから。→建学の精神
    創立者Walter Russell Lambuthの精神を受け継いでいる。
    これに基づいて、チャペル、キリスト教学、その他キリスト教の行事
    (クリスマス、イースターなど)、また学内には、ランバスチャペルや
    宗教センターがある。
    入学式、卒業式も、キリスト教式で行う。
 
 関西学院とキリスト教
  関西学院は、1889年(明治22年)に、米国南メソジスト監督教会から遣わさ
  れた宣教師Walter Russell Lambuthによって創立された。
  メソジスト→18世紀のイギリスでジョン・ウエスレーが起こした運動。英
  国国教会から分かれ、アメリカで発展した。海外伝道を活発に行った。
  愛と奉仕による社会事業、教育活動を熱心に行った。
  明治初期に、まだキリシタン禁制下にあったので、外国の宣教師たちは主
  に教育(学校)を通してキリスト教を伝えた。
  →多くの学校が建てられた。
  長老派→フェリス女学校(1870年)、明治学院、金城学院、東北学院
  組合派→神戸女学院、同志社(1875年)、
  メソジスト→青山学院(1883年)、ランバス女学校、広島女学院
  聖公会→立教学院(1874年)、平安女学院、神戸松蔭女学院、桃山学院
  (英国国教会)Anglican Church
  カトリック→上智大学、南山大学、英知大学
  関西学院の創立(1889年、明治22年、9月28日)
   原田村(現:王子公園の一角)、1万坪の土地を1万円で購入、
   香港上海銀行神戸支店から無担保で2,000円の融資を受け、またアメリカ
   の銀行家からの献金で実現。
   木造2階建1棟
   5人の教授と19人の学生・生徒
   神学部(5人)、普通学部(14人)
   教育の目的を「キリスト教主義により教育を授クル」と明記。
   その時、英語の表記をKwansei Gakuinとした。
   1929年に原田の森から、上ヶ原に移転。
  スクール・モットーについて
   Mastery for Service
   第4代院長C.J.L.ベーツが1912年4月新設の高等学部長に就任した
   ときに提唱したもの。
   「人間の本姓には二つの側面がある。1つは個人的、私的なもの、他は
   公共的、社会的なもの。そして今やこの両面がわれらのモットー“Mast
   ery for Service”において統合される。われらは弱きを欲しない。強か
   らんこと、主たらんことを願う。しかしわれらが主たらんことを願う目
   的は、おのれ個人の富を積むことではなく、かえって世に仕えることで
   なくてはならない。われらは広義に於いて人類の仕え人たらんことを目
   指すものである。」→イエスの生涯と教えに習う。
  校章について
   1894年、制服、制帽を決定するに当たって、教員・生徒からなる委
   員会で決めた。
   生徒から提出された新月(三日月)と教員から提出されたK.G.を総合し
   て現在の校章に。
   月が太陽の光を受けて自らを輝かせるように、我々は神の輝きを常に受
   けて自らを輝かせ続けるものであるという自覚と、新月がやがて満月へ
   と完全を目指して輝く存在であるように、ひたすら理想を憧れ求めて、
   進歩向上してゆくことを象徴するもの。
  校歌「空の翼」について
   1932年に関西学院大学の設立が認可され、翌1933年に山田耕筰作曲、北
   原白秋作詞で、作られた。
   「風、光、力」、ポプラ、Mastery for Service
  エンブレム(紋章)について
   1929年(上ヶ原に移転)の時に制定→その当時の関西学院の構成
   上左→聖書(神学部)
   上右→新月(中学部)
   下左→松明→智恵を象徴する光(高等学部文科)
   下右→マーキュリー(ギリシア神話の商人の守護神)の杖(高等学部商
   科)
(2)聖書概論
 1、「聖書」とは
  キリスト教の「聖典」・・・宗教において信仰と生活の規準となる基本的な
      教説が記されている書。
       古代インドのヒンドゥー教→『ベーダ』『バガバッドギーター』
      神道→『古事記』『日本書紀』
      仏教→『経典』
      イスラーム→『クルアーン』
      天理教→『おふでさき』『みかぐらうた』
  世界のベストセラー・・・世界の2,303の言語に翻訳(2002年)。
      どこの国の一でも、大体自分の母国語で読める。
      頒布数:世界→5億8千万冊
          日本→437万冊(2002年)
      訳も沢山→新共同訳、口語訳、新改訳、フランシスコ会訳、
           文語訳、英語訳、ドイツ語訳、フランス語訳、
           中国語訳、韓国語訳、ロシア語訳、ラテン語訳
  いろんな分訳多くの影響を与えてきた。
  文学:遠藤周作『沈黙』『死海のほとり』『イエスの生涯』『基督の誕生』
     三浦綾子『氷点』『塩狩峠』『細川ガラシャ夫人』『海嶺』
     椎名麟三『私の聖書物語』『永遠なる序章』『自由の彼方で』
     ドストエフスキー『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』
     トルストイ『復活』
     アンドレ・ジイド『狭き門』
  音楽:バッハ「マタイ受難曲」
     ヘンデル「メサイア」
  美術:レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」「受胎告知」「岩窟の聖母
      子」
     ミケランジェロ「ダビデ像」「モーセ像」「最後の審判」(システィナ
      礼拝堂の天井画)サン・ピエトロ大聖堂の設計
     ラファエロ「聖母子」
     レンブラント「イサクの奉献」「目をつぶされるサムソン」
     ルーベンス「キリストの降架」「アベルを殺すカイン」
     シャガール:旧約聖書に関する絵多数
 2、名称
 「聖書」→聖なる書物
  英語→The Bible
  独語→Die Bibel
  仏語→La bible
  ギリシア語→βιβλια(書物という意味)
  定冠詞をつけて→「特別な書物」  
  (他の書と並ぶ古典と見ることもできる)
  キリスト教の正典(Canon)→キリスト教にとっては信仰の基準
  特にプロテスタント教会においては、聖書のみが唯一の信仰の基準
  (カトリックでは、「聖書と伝統」)
  →宗教改革においてM・ルターは、「聖書のみ」(sola scriputura)を主張
  聖書を誰にでも読めるように、ドイツ語に翻訳。
  旧約聖書・・・Old Testament→元来ヘブライ語で書かれていた。
   紀元前3世紀にギリシア語に翻訳。
   ギリシア語(コイネー)は当時の国際語。
   偽典「アリステアスの手紙」→70人の学者がエジプトのアレキサンドリ
    アに集められて、70日かかって翻訳した、という伝説。
  新約聖書・・・New Testament→ギリシア語で書かれた。
  Testament→「契約」
   旧約→神(ヤハウェ)とイスラエルの民との契約。
      ノアの契約:神は再び人間を滅ぼさない
      アブラハムの契約:神はアブラハムを通して全人類を祝福する。
      シナイ契約:ヤハウェがイスラエルの神となってイスラエルを守
            る。イスラエルはヤハウェの民となって神の戒めに
            従う。→十戒が与えられる。
        しかし、イスラエルはこの契約を守らなかった。
      そこで神は、預言者エレミヤを通して「新しい契約」を約束した。
   新約→エレミヤの「新しい契約」がイエス・キリストにおいて成就した。
(3)新約聖書概論
  イエス・キリストについて書かれた書。→ギリシア語で書かれた。
  構   造
   @福音書   イエス・キリストの教え、生活、人格、苦難、死と復活。
                   →「言葉資料」(Quelle)→
     イエス(何も書かない)→伝承→マルコ福音書  →
             
         →  マタイによる福音書
         →  ルカによる福音書
         →→→ヨハネによる福音書
   A使徒言行録:福音がエルサレムから、次第に方々に伝えられていく初
          期のキリスト教の歴史。(著者はルカ)
   B手紙:(パウロなどによって)
    四大書簡→ローマの信徒への手紙コリントの信徒への手紙一二
         ガラテヤの信徒への手紙
    小書簡→エフェソの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙
        コロサイの信徒への手紙、テサロニケの信徒への手紙一二、
        フェレモンへの手紙 (アンダーラインはパウロが書いた)
    牧会書簡→テモテへの手紙一二、テトスへの手紙
         (著者はパウロではない)
    ヘブライ人への手紙
    公同書簡→ヤコブの手紙、ペトロの手紙、ヨハネの手紙一二三、
         ユダの手紙
   Cヨハネの黙示録→黙示文学、この世の終末について
(4)新約聖書の世界(ビデオ)
 
1,地図:地中海、ユダヤ(パレスチナ)→日本の四国くらいの大きさ
  エルサレム(黄金のドーム)
エン・カレム→バプテスマのヨハネの誕生の地(エリサベツ)
ナザレ→受胎告知、聖母訪問教会
マグニフィカート(ルカ1章)、50カ国語(含日本語)
  聖ヨハネ教会
2,地図:ナザレーベツレヘム
ベツレヘム→聖誕教会(コンスタンティヌスが建てた)
生誕の場所
クリスマスミサ
ベツレヘムの野→羊飼い
3,地図:ガリラヤ湖
ナザレ(現在アラブ人の町)
セフォリス(中心地)羊の群
セフォリスの遺跡、劇場跡
聖家族の住んだ洞窟、大工
聖ガブリエル教会、マリアの泉
ユダの荒野(死海)
クムラン→エッセネ派、修道院跡、
クムラン宗団→バプテスマのヨハネ
       1948年、死海写本発見
ユダの荒野→ヨハネーイエスに洗礼、ヨルダン川
洗礼のシーン
エリコ誘惑の山、三つの誘惑
4,ガリラヤ湖ーイエスの活動の地
海面下200メートル(→死海−400メートル)
かもめ、ピーターフィッシュ
ティベリヤ(湖畔の町)→栄えた
ギブツ→農業、牧畜
イエスの最初の活動「悔い改めよ、展の国は近づいた」
ペトロなどを弟子として召す
ペトロの召天教会
カファルナウム(慰めの村)→イエスの活動の拠点
会堂(シナゴグ)で教えた。
シナゴグの跡
メノーラ
民家の遺跡→ペトロのイエスの跡
5,地図:ガリラヤ湖周辺
ヨルダン川
ベツサイダ
コラジン→ファリサイ派と対立
ゲネサレ
マグダラ→マリアの出身地
カナ→イエスが水を葡萄酒に変えたところ
ナイン→やもめの一人息子を甦らせたところ
6,ガリラヤの野:イエスの活動の舞台
山上の垂訓教会(マタイ5章)「さいわいなるかな」
美しい花(空の鳥、野の花を見よ)
ゲラサ人の地(ガリラヤ湖の東)デカポリス
レギオンの豚
麦畑→安息日を軽視
ナザレの町:シナゴグで教える
「あのヨセフの子が・・・」「預言者は故郷では敬われない」
会堂から追い出され、野山で教える
種まきのたとえ(道端、石地、いばら、良い地)
ファリサイ派→イエスの命をねらう
ヨハネの死(ヘロデ・アンティパスに)
2匹の魚と5つのパンで5千人を養う
ガリラヤ湖→嵐の中を歩き、海を静める
7,地図:ガリラヤ湖周辺
  ガリラヤの北、ティルス、フェニキア
  ヘルモン山、ヨルダンの源流
  フィリポ・カイザリア(バニアス)
  パンの神殿跡
ヨルダン川の水源
ペトロがイエスをキリストと告白
ヘルモン山、3人の弟子を連れて上る、変貌
8,地図:北ガリラヤ
シケム(ナブルス)→サマリアの中心地
サマリアの女との対話(ヨハネ4章)
命の水、ヤコブの井戸
ゲリジム山→サマリア人の聖所
サマリアの村(サマリアひとについて)
サマリア五書
今もサマリア人の宗教(300人)
エルサレムへの道
エリコ
ザアカイのイチジク桑の木
らくだ
ヘロデの王宮跡
  エリコからエルサレムへの道
良きサマリア人のたとえ
宿屋の跡
ベタニアの村
ラザロの教会、ラザロの復活、ラザロの墓
  エフライム(タイベ)
エルサレム
ベテパゲ
ロバに乗ってエルサレムに入る(絵)
シュロの日曜日の行進
美しの門、戸が閉じられた(→イスラム教徒)
ケデロンの谷
9,エルサレムの地図
フルダ門
神域
黄金のドーム(イスラム、ムハンマドの昇天、ユダヤ教イサク)
ダマスコ門
  宮清め
羊の市
羊の門ー犠牲の動物をここから運んだ
ベトザタの池→病人を癒した
最後の晩餐の部屋
オリーブ山
  ゲッセマネの園、祈り(「油搾り」の意味)
カヤファの宮廷、裁判
ペトロ→イエスを3度否む
10,地図
ヴィア・ドロローサ
ピラトの官邸(アントニア要塞)
エッケ・ホモ(「見よ、この人」ピラト)
敷石ーイエスの時代
ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)
ゴルゴター聖墳墓教会、十字架に
ピエタ(十字架からおろされたイエスを悲しむマリア)
復活
エマオーいろんな説
ガリラヤ湖で弟子たちに現れる
ペンテコステの家ー初代教会
シオンの丘
ヨッパー伝道ー皮なめしシモンの家
カイザリア
円形劇場
(5)イエスの生涯(1)
 
@イエスの誕生(ルカ2:1-20とマタイ2章にしか記されていない)
紀元6〜4年位。
ローマ皇帝アウグストゥス(在位BCE27〜CE14)の時代。
住民登録の時(BCE6年位)(ルカ2:1)
ヘロデ王の死(BCE4年)(マタイ2:19)
背景
 ユダヤ人は、捕囚(BCE6世紀)以来、外国の支配下にあった。
 バビロニア、ペルシア、ギリシア、エジプト(プトレマイオス)、シリ
 ア(セレウコス)、ローマ帝国
 イエスの誕生の頃はローマ帝国の支配下。
ローマ帝国の支配下
 重税に苦しんだ。二重の税(ローマへの税、エルサレム神殿への十分 
の一の税)
 特に貧しい人びとは苦しかった。
 住民登録は、税金の徴収のためであった。
異教的文化の影響→ヘレニズム(ギリシア)文化→宗教生活の危機。
 ユダヤ人→伝統的にヤハウェ宗教(一神教)
 ギリシア風の都市→道徳的退廃(→エフェソの遺跡)
反ローマ運動→救い主(メシア)の待望
 ゼロータイ(熱心党)の運動(イエスの弟子にも)
イエスの両親(ヨセフとマリア)は、ガリラヤのナザレの町の貧しい民衆。
 父は大工であった。
 皇帝アウグストゥスの命令によって、住民登録をしなければな らず、
  ナザレから先祖の町ベツレヘムに旅をした。
約200キロの旅で、臨月に近づいていたマリアにとっては、大変な 
旅であった。
貧しく、無力な両親であった。
泊まる所がなく、農家の家畜小屋で生まれた。(洞窟であった)
ヘロデの迫害
 ヘロデは、ローマ皇帝からユダヤの王として支配権を与えられていた。
 ヘロデは非常に猜疑心の強い男で、策略を巡らして、権力の座を手に 
入れたが、常に自分の身を心配していた。
    東方から来た占星術の学者たちによって、メシアの誕生のことを聞き、
  不安になり、ベツレヘム地方の二歳以下の赤ちゃんをすべて殺すよう  
  に命令した。
両親は、エジプトに逃げ、命を助けられた。
その直後位にヘロデ大王は死ぬ(BC4年)。
イエスの少年時代の記事は、ほとんどない。
大人になって、洗礼者ヨハネ(エッセネ派と関係か?)から洗礼を受け 
る。
ヨハネは、都会を避けて荒野で活動していた預言者。
ヨルダン川で洗礼を受けた。
   イエス悪魔の誘惑を受ける(マタイ4:1-11)
    ユダの荒野
     砂地ともろい石灰岩の地帯。
木も草もなく、日中はとても暑い。
死海(海面下400メートル位)に近い。
40日断食をした。
40という数字は、完全数。→徹底した断食。
悪魔の誘惑はすべて人間の欲に働きかけるもの。
@石をパンに変えよ。
 パン→物質、物質欲。
 イエスは、物質よりも重要なものがある、と言う。
 「人はパンだけで生きるものではない。」
 「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」
A神殿の屋根から飛び降りる。
 これは、人にできないことをしたいという欲。→能力欲
 イエスは、「あなたの神である主を試してはならない」、と言う。
Bすべての繁栄を与える。
 これは、支配欲。
 人の上に立ちたい、人を支配したいという欲は誰にでもある。
 しかし、イエスは「ただ主に仕えよ」、と言う。
 真の支配者は、神である。
 人間が人間の支配者になってはならない、ということ。
かくてイエスは、人間の持っているすべての欲を捨てられた。
(6)イエスの生涯(2)
 
ガリラヤでの活動
 だいたい30歳くらいの時、バプテスマのヨハネより洗礼を受け、活動開始。
 最初は、ガリラヤ地方で活動。
 主に、神の国を宣べ伝え、病人を癒したり、特に社会において差別されてい
 た人々(徴税人、罪人、遊女など)に愛の手を差し伸べる。
 ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)や、野外で教える。
 しかし、ファリサイ派の人々や律法学者などの当時のユダヤ教の指導者たち
 とはしばしば対立。
 
弟子の選び
 12人の弟子を選ぶ。
 代表は、ペトロ(マルコ3:16以下)。
 だいたいはガリラヤの漁師とか徴税人など、教養はなく、余り社会的に重ん
 じられていなかった貧しい人々。
 イエスの方から選ぶ→召命
 イエスはしばらくガリラヤで活動したが、3年位して、最後はエルに行く。
 そこで最後の晩餐をなし、オリーブ山で、ユダの裏切りによって、ユダヤ教
 の指導者たちによって捕らえられた。
 なぜ、捕らえられたかというと、ユダヤ教の伝統的な律法を軽んじたという
 理由から。
 例えば、安息日の規定を破った。→安息日に病人を癒した。
 
イエスの十字架
 イエスは捕らえられ、最初はユダヤ教の最高議会であるサンへドリンで裁判
 を受ける。
 当時はローマ帝国の支配下にあったので、死刑という重大な犯罪の判決は、
 ローマ総督が下さねばならなかった。
 そこで彼らは、イエスを総督ピラトの所に連れて行った。
 ピラトは、イエスは罪を犯していないと思ったが、ユダヤ人の暴動を恐れて、
 ついに処刑の判決を下した。
 そして、「ユダヤ人の王」という判決理由で、十字架刑に処した。
 (マルコ15:26)
 十字架というのは、ローマに対する反乱の指導者に下された罰。
 いわゆる、見せしめの刑。
 イエスは、自分のかかる十字架を自ら担がされ、刑場まで歩かされた。
 →ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)
 →ゴルゴタの丘
 一方、弟子たちは、イエスが捕らえられたとき、皆逃げ去った。
 自分たちも捕らえられることを恐れたからである。
 ペトロは3度イエスを「知らない」と否んだ。
 イエスの十字架を見届けたのは、女の弟子たちだけであった。
 最後の晩餐をしたのは、木曜日の夜であり、その後捕らえられ、金曜日の朝
 十字架にかけられ、その夕方息を引き取った。
 そして、アリマタヤのヨセフという人が願い出て、イエスの遺体を墓に葬っ
 た。
 土曜日は安息日なので、弟子たちは墓に行くことができなかった。
 
復活
 日曜の朝、早く、女の弟子たちは墓を見に行った(遺体に油を塗るため)。 
 しかし、墓は空っぽだった。
 そして男の弟子たちも復活のイエスに出会った、という体験をした。
 福音書は、4つともこの復活の記事で終わっている。
 しかし、4つとも記事が違う。
 弟子たちは復活のイエスに出会った当体験をしたのであって、誰しもが認め
 る客観的な事実ではない。
 マタイによる福音書28:11-15によると、夜イエスの弟子たちが遺体を盗んだ、
 という噂があった。
 マタイによる福音書が書かれたのは紀元80年くらい(イエスが死んでから50
 年くらい経っている)にも、そういう噂は続いていた。
 しかし、それは事実ではなかったであろう。
 なぜなら、もし実際に弟子たちがイエスの遺体を盗んだのであれば、意気消
 沈していた弟子たちが、その後生き生きと活動し始めたということは考えら
 れない。
 噂を宣伝して、果たして多くの人が信じるであろうか。
 そのようなものが歴史に残るだろうか。
 復活というのが、どういうものかわからないが、とにかく弟子たちは復活の
 イエスに出会ったという体験をした。
 それだからこそ、そのことを一生懸命宣べ伝えたのである。
 そしてそれは、迫害をも恐れずになしたのである。
 復活の最古の伝承は、コリントの信徒への手紙一15:1-3にある。
 復活のイエスはまず、ペトロに現れ、続いて12弟子に、さらに500人以上の者
 に、同時に現れ、次にヤコブ(イエスの弟)に現れ、そして最後にパウロに
 も現れた。
 そして、イエスの復活を信じた弟子たちの間に、最初の教会ができるが、そ
 の教会を形作る根本の信仰は、このイエスの復活の事実への信仰であった。
 十字架につけられて殺されたイエスは、死に打ち勝ってよみがえり、今もな
 お生きているという確信こそ、彼らの信仰の原動力であった。
 そして、今までユダヤ教の安息日は土曜日であったが、この復活が日曜日に
 起こったということから、キリスト教では日曜日に礼拝が行われるようにな
 った。
(7)、イエスの教え(1)
 
@まず、「神の国」を宣べ伝えた。
 マルコによる福音書1:14-15。
  1:14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝
    えて、
  1:15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言わ
    れた。
 「福音」→良い知らせ。救い。
 ギリシア語(euvagge,lion)→戦勝の知らせなどに使われた。   
             →聖書では、罪からの救い
 「神の国」→神の支配。
 「悔い改め」→本来の所に帰ること。神との関係の戻る。
 
A山上の説教(マタイによる福音書5-7章)
 ガリラヤの小高い丘の上で話された。
 最初に「幸い」について(5:3−12)
  聖書において幸いとは何か。→世間で考えられている幸福とは違う。
  ここでは8つの幸い。
  5:3 「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
  5:4 悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。
  5:5 柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。
  5:6 義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。
  5:7 憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。
  5:8 心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。
  5:9 平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。
  5:10 義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちの
   ものである。
  「心の貧しい」→じぶん自身に頼る者がない人、従って神に頼らざるを得
  ない人。
  「悲しむ人」→文字通り、悲しい人。
         なぜなら、神の慰めを得るから
  「柔和な人」→権力のない人。弱い立場の人。
         「地を受け継ぐ」は、最大の祝福と考えられた。
  「義に飢え渇く人」→正「義」を求める人。
  「憐れみ深い人」→
  「心の清い人」→
  「平和を実現する人」→
  「義のために迫害される人」→
  →これらはこの世では不幸と考えられるかもしれない。
   しかし、そのような苦しみを負う人は、神の祝福を受ける。(逆説)
 
B旧約の戒の新しい解釈
  a、「腹を立ててはならない」(5:21-22)
   5:21昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。
   5:22 しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを
    受ける。
   単に殺人をしなければいいというのでなく、腹を立てることが殺人につ
   ながる
   →旧約聖書のカインの殺人の例
  b、「姦淫してはならない」(5:27-28)
   5:27 「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。
   5:28 しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだ
    れでも、既に心の中でその女を犯したのである。
   実際に姦淫しなくても、みだらな思いで他人の妻を見る者は、心で姦淫
   をしている。→イスラームのブルガ→これを未然に防いでいる
  c、「復讐してはならない」(5:38-39)
   5:38「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じら
     れている。
   5:39 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかが
     あなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
   「目には目を」という考えを否定された。
    さらに、悪人に手向かってはならない、と教えた。
  d、「敵を愛せよ」(5:43-44)
   5:43 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられ
     ている。
   5:44 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈
     りなさい。
   →ニーチェは、これを「奴隷倫理」といって批判した。
  e、「右の手のすることを左の手に知らせるな」(6:1-4)
  f、「偽善をするな」(6:5-6)
 
C主の祈(6:9-13)
  6:9 だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇め
    られますように。
  6:10 御国が来ますように。御心が行われますように、/天におけるように地
    の上にも。
  6:11 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
  6:12 わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目の
    ある人を/赦しましたように。
  6:13 わたしたちを誘惑に遭わせず、/悪い者から救ってください。』
  まず、神への祈願と、次に自分の祈願
 
D「思い悩むな」(6:25-34)
  花は鳥を見ながら話した。
   6:26 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしな
     い。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、
     鳥よりも価値あるものではないか。
  6:28 なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意
    して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
  6:29 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどに
    も着飾ってはいなかった。
  →神は、自然を豊に恵んでくださるように、人間にはなおさらである。
 
E「人を裁くな」(7:1-6)
  7:3 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の
   丸太に気づかないのか。
  
F「豚に真珠」(7:6)
  7:6神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。
   それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」
 
G「黄金律」(7:12)
  7:12 だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしな
   さい。これこそ律法と預言者である。」
 
H「狭い門」(7:13-14)
  7:13 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、
   そこから入る者が多い。
  7:14 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだ
    す者は少ない。」
(8)イエスの教え(2)
イエスはしばしば、譬えで教えられた。
譬え→よく知られたものを通して、全く知られていない秘儀を教える。
 例えば、「神の国は、一粒のからし種のようなものである」(マルコ4:30-31)
 日常生活や自然現象で説明。
 「あなたは地の塩である」(マタイ5:13,14)
 一般の人に分かりやすいように→一部の知識階級だけにでなく。
@「見失った羊の譬え」(ルカ15:4-7)→P.(新)138
 羊はイスラエルの人々にとっては非常に身近な動物
 羊は、家畜であるより、家族の一員のようなもの。
 羊がどういう性質をしているかをよく知っていた。
 →他の羊で埋め合わせができない。
 →かけがえがない(代替不可能)。←→機械の部品
 神にとっては、どんな人間もかけがえがない。
 神は悔い改めを喜ぶ
 悔い改め→本来のところ(神)に帰る。
A「なくした銀貨の譬え」(ルカ15:8-10)→P.(新)138
 銀貨→アクセサリー
 それほど高価ではないが、多分、婚約の時に母親からもらった記念の品
 →掛け替えがない→他の銀貨で埋め合わせることができない(代替不可能)
 見つかったら、その1枚の価値以上の喜び。
 隣人へのふるまいの方が多額となるが、それほどの喜び
 ここでも「悔い改め」
B「放蕩息子の譬え」(ルカ15:11-32)→P.(新)139
 兄→父の言いつけに従い、真面目に働く
 弟→父に逆らい、財産を持って家を出、放蕩に暮らす
 財産→使えばなくなるのは早い
 飢えの苦しさ→豚のえさであるいなご豆さえ食べたくなる
 「我に返る」(17節)→本来の所(神)に帰ろうとする
 「雇い人の一人にしてください」(19節)→謙虚な姿勢
 「憐れに思う」(20節)→父の子を思う愛
 「罪を犯しました」(21節)→悔い改め
 父の赦し(22節)→かえって、最上の着物を着せ、祝宴を催す
 「死んでいたのに生き返り」(24節)→父(神)の大いなる喜び
 兄→祝宴の騒ぎを聞き怒る(28-30節)→父の喜びが分からない
C「善いサマリア人の譬え」(ルカ10:25-37)→P.(新)126
 あるユダヤ人→エルサレムからエリコへ下っていた(20数キロ)
       →途中に危険なところがある
       →追いはぎに襲われた
 祭司(神殿に仕える宗教家)→道の向こう側を通って行く
 レビ人(神殿の雑務をする人)→道の向こう側を通って行く
 サマリア人(ユダヤ人とは敵対関係にあった)→「憐れに思い、助けた」
 イエス→「だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったか」
D「タラントンの譬え」(マタイ25:14-30)→P.(新)P.49
 主人が3人にお金を預けた
 →Aには5タラントン、Bには2タラントン、Cには1タラントン
 タラントン→一番大きな単位、6000日分の賃金に相当
 タラントン→talent(才能)の語源→神から与えられた賜物
 人はそれぞれ、神から異なる賜物が与えられている
 その賜物を、神のために用いることが大切。
 E「ぶどう園の労働者の譬え」(マタイ20:1-16)→P.(新)38
 ぶどうの収穫の時期は、多くの人手を必要とした
 朝の6時から夕方の6時まで働いた人
 9時から6時まで
 12時から6時まで
 3時から6時まで
 5時から6時まで
 →みな同じ1デナリオンの報酬をもらう。
 →平等であるが、不公平
 12時間働いたもの→不平(12節)
 しかし、主人は「最後のものにも同じように払ったやりたい」
 →神は、すべての人に等しく愛を注ぐ。
(9)キリスト教の成立
使徒言行録→初期のキリスト教の歴史
 →著者はルカ→ルカによる福音書の続編→CE90年代
 キリスト教を弁明するために、ローマの高官(テオフィロ)に宛てて書かれた。
 
イエスの昇天(使徒言行録1:6-11→P.213)
 復活の40日後
 
ペンテコステ(「50日目」という意味)
 →ユダヤ教ではこの日に「小麦の収穫祭」(七週祭)が行われていた。
 →イエスの復活から50日目
 弟子たちに聖霊が降され、最初の教会が誕生
 
最初の教会
 →使徒言行録2:43-47→P.217
 →「すべてのものを共有」
 →「教会」→エクレシア(集まり)→キリストを信じるものの集まり
 →日曜日(イエスが復活した日)に集まって、礼拝をした
 ←→ユダヤ教の安息日は土曜日であった
 →最初の指導者はペトロ。後にイエスの弟のヤコブ
 共同生活→使徒言行録4:32-35(P.220)
 
ユダヤ教からの迫害
 ステファノの殉教→使徒言行録7:54-60(P.227)
 →キリスト教の最初の殉教者
 →サウロ(後のパウロ)が背後で働いていた
 →弟子たちは、各地に散って伝道した
 →誰がどんな伝道をしたかはわからない
 →多くの伝説がある
  →フィリポ→エチオピアの高官に伝道→エジプトにキリスト教が
 
サウロの回心
 サウロは、熱心なユダヤ教徒であり、キリスト教徒を自ら進んで迫害してい
  た。
 ダマスコに迫害に行き途中で、復活のキリストと出会い、回心する。
 使徒言行録9章→P.229
 →アンティオキアの教会で働く
 →その後、3回大きな伝道旅行をし、この当時の世界各地に教会を建てた。
 
ヘロデ王の迫害
 イエスが生まれたときのヘロデ大王の息子(ガリラヤの領主)
 →使徒言行録12:1-5→ヤコブが殺される(2番目の殉教者)
 初期のキリスト教は、ユダヤ教を始め、権力者などから常に迫害された。
 しかし、弟子たちは、聖霊の力を受けて、積極的に伝道し、多くの地域に教
  会ができ、多くの人が信者ができた。
(10)パウロの活動(1)
@パウロ→小アジアのタルソ生まれのディアスポラユダヤ人
    (ユダヤ名:サウロ)
    エルサレムで最高の教育を受け、ラビ(ユダヤ教の教師)となる
    家柄もよく、ローマの市民権を持っていた(ローマ名:パウロ)
    最初、キリスト教徒を迫害
    →ステファノは、その迫害において殉教
    ダマスコに迫害に行く途中に、復活のキリストと出会うという体験を
     して、回心
    アンティオキアの教会で活動
    →アンティオキアは、当時のシリアの中心都市で、ローマ、アレキサ
     ンドリアに次いで、世界第3の都会
    →早くからキリスト教が伝えられていた
    →聖霊降臨びの時からエルサレム教会のメンバーであったバルナバに
     よって伝えられていた。
    →バルナバは、アンティオキア教会の最も中心的な指導者であった。
    →パウロは、このバルナバに評価され、アンティオキアの教会に招か
     れた。
    →アンティオキアの教会の信者が、初めてクリスチャンと呼ばれた。
     →それまでは、ユダヤ教の一派と見なされていた。
     →しかし今や、ユダヤ教の一派ではなく、新たなキリスト教という
      宗教としてみられた。
A第1回伝道旅行
  キリスト教は、最初から、各地に伝道するという傾向が強かった。
  これは、キリストの遺言から来ている。
  →マルコによる福音書16:15(P.98)
  →ランバスもそう。
  バルナバとパウロとが、アンティオキアの教会から正式に派遣された。
  アンティオキア→オロンテス川の河口にある地中海の港町セレウキア
  そこから船で、キプロス島のサラミス
  キプロス島は、バルナバの故郷
  しかし、キプロス死まではさしたる成果もなく、伝道は成功しなかった。
  キプロス島のパフォス→→パンフィリア(現在のトルコ)のベルゲ
  そこから北上して、160キロほどの旅を続けて、ピシディアのアンティ
   オキアへ。
  そこから南島100キロほどの距離にあるイコニオン(コンヤ)
  →南方40キロにあるリストラ→南東50キロにあるデルベへ
  この4つの町には、教会(エクレシア:集まり)ができた。
  二人の伝道はどの町でも大体似ており、町にはいるとまず、ユダヤ人の会
   堂(シナゴグ)に入り、そこで福音を伝えた。
  福音を受け入れた人もいるが、一方ではユダヤ人たちから妨害されたり、
   迫害されたりもした。
  ピシディアのアンティオキアでは、迫害されて追い出されたので、足のち
   りを払い落として町を出た。
  リストラでのエピソード(使徒言行録14:8-15)P.241
(11)パウロの活動(2)
B第2回伝道旅行
  シラスと共に、キリキアを通って、第1伝道旅行で建てた4つの教会、すな
  わちデルベ、リストラ、イコニオン、アンティオキアの教会を訪問した。
  リストラからは、テモテという人が同行した。
  最初、予定していなかった小アジアの西の端のトロアスに行く。
  ここでパウロは夢を見る。→16:9-10(P.245)
  トロアスからエーゲ海を越えて向かいがマケドニアであるが、これは大局
  的に見れば、アジアからヨーロッパへと言うことになる。
  すなわち、パウロがここで示された幻は、アジアで起こったキリスト教が
  ヨーロッパ世界に伝えられると言うこと。
  その後の世界史においては、キリスト教はむしろヨーロッパで栄えたこと
  を思うと、このパウロがマケドニアに渡ったのは大きな出来事。
  ここで「私たち」という語が出る。
  使徒言行録において、「私たち」という形で報告されている記事が何カ所か
  ある(6:10-17,20:5-15,21:1-8,27:1-28:16)。
  これは、使徒言行録の著者ルカによる福音書がパウロと行動を共にしたと
  きの記録であろう(「我ら資料」と言われている)。
  パウロはトロアスからマケドニアに船で渡り、ネアポリスに上陸し、ロー
  マまで通じているエグナティア街道に沿って、フィリピ、アンフィポリス、
  アポロニア、テサロニケの町々を通った。
  そして、フィリピとテサロニケには教会ができた。
  フィリピの町は、ローマの植民都市であり、ローマ人が大勢住んでいた。
  ここでは、リディアという裕福な婦人がパウロの語る福音を直ちに受け入
  れ、バプテスマを受けた(16:15)。
  それだけでなく、彼女の家が開放されて、そこで礼拝が行われた。
  このようにフィリピの教会は、1人の献身的な信者の協力によって建てられ
  た。
  しかし、あることから、パウロは獄に捕らえられた。
  しかし、神の不思議な導きにより、かえって獄吏の福音を伝える結果とな
  った(16:25-34)。
  テサロニケにおいても、多くの人がパウロの福音を受け入れて教会ができ
  た。
  テサロニケは、マケドニアの首都で、重要な都市であった。
  しかし、ここでもパウロは暴徒に襲われ、ベレアに逃れ、ベレアでも群衆
  の暴動にあったので、船でアテネに渡った。
  アテネは、ギリシア文化の栄えた町で、教養人の町でもあった。
  ギリシア神話の神々の像が多くあった。
  その主神は、ゼウス。
  その他にも、ゼウスの息子のアポロ、海に神ポセイドン、火の神プロメテ
  ウス、酒の神ディオニソス、豊穣の神アルテミスなど。
  しかし、十戒を重んじるパウロは、これらに怒りを覚えた。
  そこでパウロは、真の神を教えようとして、アレオパゴスという所で説教
  をした。
  17:22-23→P.248
  最後に「死人の蘇り」のことを説いたとき、アテネの市民はあざ笑った。
  そこでパウロは、すごすごとアテネから出て行った。
  →アテネには、教会ができなかった。
  その後、彼はコリントに行った。
  コリントは、アカイア州(ギリシア)の首都。
  港町で非常に栄えていた。
  コリントには、多くの国の人が集まっていた。
  ここでアクラとプリスキらという夫婦がパウロに協力し、パウロもここに
  1年半滞在して福音を宣べ伝え、多くの人が信者になった。
  コリントの教会は、パウロの建てた教会の中でも最も有力な教会となった。
  その後、船でエフェソにわたり、カイザリアに行き、エルサレムに上った
  後、アンティオキアに帰り、第2伝道旅行は終わった。
 
C第3伝道旅行
  ここでは、主に、第2伝道旅行の時に建てた教会を再度訪問し、その教会で
  起こった問題の解決に当たったり、教会の指導者を訓練したり、エルサレ
  ム教会への献金のお願いをしたりした。
  この伝道旅行の時に、多くの手紙が書かれた。
  エフェソでの事件(19:23-41)→P.252
 
Dローマへの旅
  エルサレムで捕らえられ、2年間獄につながれていたが、ローマの市民権を
  利用して、ローマで裁判を受けることを訴え、それが認められた。
  カイサリア→シドン→キプロスの北→ミラ→クニドス→クレタ
  →サルモネ岬→良い港
  その後、ユーラクロンと呼ばれる嵐によって、船が流され、マルタ島に漂
  着した。
  そこからシチリア島に行き、イタリア本土のレギオンに渡り、プテオリに
  上陸し、陸路ついにローマに到着した。
  28:30-31(P271)→エルサレムで始まったキリスト教がついに世界の中心
  地ローマに達した。