『新共同訳・旧約聖書略解』
「エゼキエル書」
樋口 進
序 論
1、名称と正典での位置
本書の書名は「エゼキエル(イェヘズケール)」となっているが、これは
「神は強める」という意味であり、この預言者の名前から取られたものである。
エゼキエル書はヘブル語原典の第二部「預言者」(ネビーイーム)の中の
「後の預言者」の三番目に位置し、イザヤ書、エレミヤ書と共に三大預言者
と呼ばれている。
2、エゼキエル書の構成
本書は、内容的に、次の三部から構成されている。すなわち、第一部一−
二四章「ユダとエルサレムの罪と罰」、第二部二五−三二章「諸国民に対する
預言」、第三部三三−四八章「イスラエルの回復」である。このような整然と
した構成は、編集者の手によると思われるが、エゼキエル自身がある程度の
編集を行った可能性がある。
また、本書には、ヨヤキン王の捕囚を起点とする次の一四の日付が付され
ている。第五年四月五日(一・二)、第六年六月五日(八・一)、第七年5月
十日(二〇・一)、第九年十月十日(二四・一)、第十年十月十二日(二九・
一)、第十一年?月一日(二六・一)、第十一年一月七日(三〇・二〇)、第十
一年三月一日(三一・一)、第十二年十二月一日(三二・一)、第十二年?月
十五日(三二・一七)、第十二年十月十日(三三・二一)、第二十五年一月十
日(四〇・一)、第二十七年一月一日(二九・一七)、第三十年四月五日(一・
一)。これらの日付は、エゼキエル自身がつけたものであろう。
以上のように本書は構造的にも年代的にも統一ある書であると思われるが、
文体の不統一や二重記事、人称の変化など後代の編集の跡も多く認められる。
しかし多くの部分はエゼキエル自身に帰すことができる。
3、時代背景
ユダ王国のヨシヤの治世の時代(前六三九−六〇九年)、アッシリア帝国は
弱体化した。ヨシヤはこの機会を捉えて、アッシリアに抵抗したのである。
すなわち、国内からアッシリアの偶像を取り除いき、朝貢を中止して、アッ
シリアとの家臣関係を破棄したのである。その後彼は、アッシリアの州に組
み入れられていたかつての北イスラエルの領地にまで攻め入り、ダビデの王
国を再興しようとしたが、紀元前六〇九年にエジプトの王ネコに撃ち破られ、
あえなくその野望は崩されてしまった。その後ユダはエジプトの支配下に置
かれた。ヨシヤの死後その子ヨアハズが王位を継承したが、ネコは彼に代え
てヨアハズのもう一人の息子であるエルヤキムを王位に即け、名をヨヤキム
と改めた。この改名は、ファラオのユダに対する統治権を表している。事実、
ヨヤキムは国民に重税を課してネコに朝貢した。 紀元前六〇五年のカルケ
ミシュの戦いでネブカドレツァルがネコに勝利してからは、ユダは新バビロ
ニア帝国の支配下となった。しかしヨヤキムは、間もなくバビロニアの支配
から免れようとして朝貢を中止した。ネブカドレツァルは直ちに軍を送って、
エルサレムを包囲した。この包囲の最中にヨヤキムは死に、その子ヨヤキン
が王位に即くが、即位三カ月後にエルサレムは侵入され、若きヨヤキンや上
層階級が捕囚としてバビロンに連れて行かれた。この第一回バビロン捕囚
(前五九七年)にエゼキエルも含まれていた。
その後、ネブカドレツァルはヨシヤの末息子のマタンヤを王に任命し、こ
れをゼデキヤと名を代えた。この改名もバビロンのユダに対する支配権を表
している。
ユダ最後の王ゼデキヤの治世の時代は、バビロンに服従するか、あるいは
エジプトに頼ってバビロンに抵抗するか、という問題に終始した。エゼキエ
ルはネブカドレツァルの介入を主の裁きの行為と見て、バビロンに服従する
ことを主張した。エジプトは背後で救助を約束して扇動していた。ゼデキヤ
は最終的にバビロニアの支配から免れることを決め、朝貢を中止した。これ
に大してネブカドレツァルは、紀元前五八九年十月十日に大軍を投入してエ
ルサレムを包囲した。堅固なエルサレムが陥落するまでには一年半もかかっ
た。その間、救助を約束したエジプトのファラオ・ホフラは軍隊をエルサレ
ムに送って一時バビロニア軍の包囲を解かせたが、エジプト軍は助けるだけ
の力をもっていなかった。エゼキエルは「諸国民に対する預言」において、
この時のエジプトの態度を非難している(二九−三二章)。エルサレムは兵糧
攻めにあい、ついに紀元前五八七年四月九日に、城壁の突破口があけられ、
バビロニア軍に侵入された。ゼデキヤは東ヨルダンに逃げる途中に捕らえら
れ、ネブカドレツァルの本営の置かれていたシリアのリブラに護送され、そ
こで両眼をえぐられて、鎖につながれてバビロンに送られた(王下二五・七)。
翌月、エルサレムの町と神殿に火がつけられて、町は壊滅した。そして上層
階級がバビロンに連れて行かれた(第二回捕囚)。ネブカドレツァルはゲダル
ヤという人を総督に任命したが、バビロニアに反感をもっていたイシュマエ
ルという人によって暗殺された。
バビロニア捕囚は、奴隷ではなく、民はユーフラテス河畔の一定の場所
(テル・アビブ)で共同生活をすることができた。彼らは家を建て、庭園を
作り、収穫物は自由にでき、結婚もできた(エレ二九・五、六)。しかしエゼ
キエルは、そこは異教の地であり、「汚れた国」であると思った(四・一三)。
神殿祭儀ができなくなった今、安息日と割礼がヤハウェの民の連帯のしるし、
神との契約のしるしとして重要になった。
4、エゼキエルの人物像
エゼキエルは、祭司ブジの子とあり(一・三)、自らもエルサレム神殿の祭
司であったであろう。第一回捕囚の時(前五九七年)にヨヤキン王と共にバ
ビロンに連れて行かれたことからも、彼が上層階級に属していたことが分かる。
捕囚の地で五年暮らした後に預言者への召命を受けた(前五九三年)。彼には
妻がいたが、捕囚の地で死んだ(二四・一八)。彼の預言から、彼が高度の教
育を受けた知識人であったことが分かる。捕囚の地では指導的立場にあった
ようである。彼の家には弟子たちが集まり、神から与えられた託宣を伝えた
だけでなく、それらの預言を自ら編集もしたようである。彼は弟子たちに比
喩を語り(一七、一九章)、また歴史物語を著作もした(一六、二〇、二三章)。
エゼキエル書にはしばしば彼が異常な行動をしたことが記されている。す
なわち、嘆きの言葉の書かれていた巻物を食べ(三・一−三)、七日間呆然自
失としていたり(三・一五)、自分の体を縄で縛って長期間横になったり(四・
八)、妻が死んでも感情のない人のように嘆かず(二四・一八)、またしばら
くの間語ることができない状態に陥ったりした(三・二六)。このため、彼は
精神的な病気に陥っていたのだという意見もあるが、そうではなく、そもそ
も預言者が神の託宣を受け取る時は、多かれ少なかれ幻視・幻聴といった異
常な状態に陥ったようである。ただし、預言者の任務は神から与えられた託
宣を伝えることであったので、個人的な体験は余り報告しなかったのである。
エゼキエルは、イスラエル史の最大の危機の時代にあってそれだけ強烈な神
の激情を担わせられたために、一層異常な体験をしたものと思われる。
5、伝承
エゼキエルはエルサレム神殿の祭司であったために、イスラエルの過去の
伝承を 多く保有していたようである。特に彼は、過去の預言者の伝承に通
じていた。《お前たちはわたしが主であることを知るようになる》(二五・五
など)は初期預言者の伝承である。また、イスラエルを不忠実な妻として描
くのはホセアからの伝承である(二三章)。また、ホセアには荒れ野を主とイ
スラエルとの理想的な時代と見る伝承があるが(九・一〇など)、エゼキエル
はこの伝承を捨て子の物語に取り入れた(一六章)。以前の預言者の伝承を取
り入れてそれを長い物語にするのはエゼキエルの特徴である。このことから、
エゼキエルは捕囚の地で、神の託宣を語っただけでなく、過去の伝承を反省
し、思索し、記述するということもしたと考えられる。また、《主の言葉がわ
たしに臨んだ》という定型がエゼキエル書に非常に多く出るが、これはエレ
ミヤからの伝承である。また彼は、イザヤやエレミヤと同様に、象徴行為を
よく行った。また彼は、祭司の伝承をも豊かに受けている。例えば、《裁く》
(二〇・四など)という告訴の言葉は、その背景が祭司の社会にある。また、
違反した戒めを列挙して告訴する様式も祭司の伝統である(一八・一〇−一
三)。また、《彼こそ正しい人で、彼は必ず生きる》(一八・九)という「宣言
定式」は神殿を訪れた者が聖所に入っていいかどうかを祭司が神殿の入り口
で決定した時に用いられた式文である。またエゼキエルは、申命記の影響も
多く受けている。
6、思想的特色
エゼキエルの預言の特徴は、まず《主の言葉がわたしに臨んだ》という導
入句で語られることである。彼は徹底的な神中心主義者であり、「主の言葉は
必ず成る」という絶対的信頼に立っていた(二二・一四)。
彼は以前の預言者のように、まずイスラエルの罪を非難し、それに徹底的
にな裁きを宣告する。また彼は、象徴行為でもっても裁きを宣告している。
彼の非難した罪は、主に偶像礼拝と流血である。これは、十戒の前半と後半
に対応するであろう。また彼は祭司として、祭司の重要な務めである聖と俗
を区別することを怠ったことに対して非難している。彼は「主の栄光」を強
調する。主の栄光は、主の臨在を表し、祭司の伝統からすると、それは神殿
にしか住まなかった。しかし、その神殿は偶像礼拝によって汚されたため
(八章)、それはそこを離れて捕囚の地に行くが(一章)、そこはあくまで仮
の場所であり(一一・一六)、神殿が再建されると本来の場所に戻る(四三章)。
エゼキエルの裁きの宣告は、イスラエルの滅亡であり、民の捕囚である
(三九・二三)。そして裁きの目的は、主を知らせることである。そのため
に「そのとき、お前たちは、わたしが主であることを知るようになる」とい
う「神認識句」が繰り返されている(五四回)。エルサレム滅亡後は、彼は一
変して回復の預言を語り出す。しかし回復は、主の「聖なる名」のために行
われる(三六・一六−二四)。イスラエルの民には何ら救う力はないが、神自
らイスラエルに新しい霊と新しい心を与える、というのである(三六・二六)。
新しいイスラエルの回復は、新しい聖なる共同体として描かれ、そのために
具体的に理想的な神殿の設計、祭儀制度の確立、新しい民の形成のプログラ
ムが立てられる(四〇−四八章)。こうして、エゼキエルは捕囚後のユダヤ教
団の基礎を築き、「ユダヤ教の父」と呼ばれている。