2002年9月1日 室町教会朝の礼拝
マルコによる福音書6章14−29節 「洗礼者ヨハネの最後」
14節。
イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言って
いた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行
う力が彼に働いている。」
前の所は、イエスが十二弟子を各地に派遣したという記事でした。
そして、30節では、その遣わした弟子たちが再びイエスの所に帰ってきて、
報告したということが記されています。
そして、今日の洗礼者ヨハネの最後についての記事は、その間に挟まれてい
ます。
今読んだ14節には、「イエスの名が知れ渡った」とあります。
これは、各地に遣わされた弟子たちの活動によって、イエスの名が広く伝え
られ、それがヘロデの耳に入ったということでしょう。
このヘロデというのは、あのイエスが生まれたときにユダヤを治めていたヘ
ロデ大王とは違います。
イエスが生まれたときにユダヤを治めていたのは、ここで言われているヘロ
デ王の父です。
このヘロデ大王は、政治的にはなかなかの手腕家で、大きな領地を支配して
いました。
ところがこの大王が死ぬと、その領地は3人の息子に分割して与えられまし
た。
そして、ここにでてくるヘロデには(一般にヘロデ・アンティパスと言いま
すが)、ガリラヤ地方が与えられたのです。
ここで王と言われていますが、実際は王という称号はふさわしくなく、むし
ろ領主とすべきです。
このヘロデ・アンティパスは、この時はまだイエスには会っていませんでし
た。
彼がイエスに実際に出会うのは、イエスの生涯の一番最後、すなわち十字架
に掛けられる日でした。
ルカによる福音書22章の記事によりますと、イエスはオリーブ山で祭司長
たちに捕らえられた後、まず大祭司の邸宅に連れて行かれ、それから総督ピ
ラトの所に連れて行かれました。
そしてピラトは、その後ちょうどエルサレムにきていたヘロデの所にイエス
を送り届けたのです。
そして、ヘロデはイエスにいろいろ質問しましたが、イエスはそれに対して
一切答えなかった、とあります。
ルカによる福音書23章8−11節(P.157)には次のようにあります。
彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞
いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを
行うのを見たいと望んでいたからである。それで、いろいろと尋問した
が、イエスは何もお答えにならなかった。祭司長たちと律法学者たちは
そこにいて、イエスを激しく訴えた。ヘロデも自分の兵士たちと一緒に
イエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返
した。
ここにヘロデはイエスに「ずっと以前から会いたいと思っていた」とありま
すが、それは今日の記事において、イエスの名を耳にしたときからであった
でしょう。
しかしヘロデは、ただイエスに興味を抱いていただけであって、イエスを神
の子と信じるというのではありませんでした。
ヘロデは、イエスが奇跡を行ったという噂を聞いていたのでしょう。
そしてヘロデは、イエスが奇跡を行うのを見たいと思ったのです。
しかしイエスは、興味本位からの求めによっては、決して奇跡は起こしませ
んでした。
そこで、奇跡を行わないイエスを侮辱したというのです。
主イエスは、真実な出会いを求められます。
真実な求めには、真実に答えてくださいます。
しかし、真実でないものには、答えてくださいません。
私たちも、真心からの信仰を持って主イエスに求めるときは、応えてくださ
るでしょう。
しかし、信仰もなく、ただ興味本位からは、キリストは何も応えてくださら
ないでしょう。
私たちがキリストに出会うという場合、まず私たちの真心からの信仰が大切
なのです。
さて、今日の所で、ヘロデはイエスのことを聞いて、それは洗礼者ヨハネ
が生き返ったかも知れないと思った、と言うのです。
この当時、イエスがいろいろ不思議な業を行ったり、力強い教えをしていた
ので、彼は一体誰だろう、ということがいろいろ言われていたようです。
15節には、
そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のよう
な預言者だ」と言う人もいた。
とあります。
イエスは、ガリラヤ地方一帯で力強く神の国のことを宣べ伝え、多くの人が
その教えに感動して従っていました。
又、病人を癒したりもしました。
このイエスは一体誰なのだろうということについて、ある人は「洗礼者ヨハ
ネだ」と言い、またある人は「エリヤだ」と言い、またある人は「預言者の
ひとりだ」と言っていたというのです。
エリヤというのは、イエスより800年以上も前に活動した預言者です。
彼の時代に、当時のアハブ王の妻となったイゼベルという女が自分の国の神
バアルをイスラエルに持ち込み、伝統的なイスラエルの神を礼拝するものが
迫害されました。
エリヤはただひとり、イスラエルの神の預言者として、バアルの預言者と戦
いました。
そして彼は、最後は「死んだ」とは言われずに、「つむじ風に乗って天に上
った」といわれています。
そこから、生きたまま天に上ったエリヤが、再び天から降りてきて、苦しん
でいるユダヤの民を救うというメシア信仰が生まれてきました。
そして、イエスこそこのエリヤだ、とある人々は言っていた、と言うのです。
またある人は、「昔の預言者のような預言者だ」と言っていました。
しかしヘロデは、イエスはきっと洗礼者ヨハネの再来だと思った、と言うの
です。
16節。
ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、
生き返ったのだ」と言った。
ヘロデは、不本意ながらヨハネの首をはねたのであって、それに対しては良
心の呵責を感じていました。
また、それに対する報復を恐れていたのかも知れません。
16節の背後に、ヘロデの恐れというものを読み取ることができます。
17−29節が、そのヨハネの首を切ったいきさつです。
このヘロデ一家は、しばしば聖書の人物に対する迫害者として描かれていま
す。
すなわち、このヘロデの父のヘロデ大王は、イエスが生まれたとき、東方か
ら来た占星術の学者達が「ユダヤ人の王がお生まれになった」と言ったのを
聞いて非常に不安になり、ベツレヘム地方の2歳以下の男の子をすべて殺し
た、と記されています。
また、このヘロデの息子のヘロデ・アグリッパは、使徒言行録12章にでて
きます。
彼は、初代教会の中心人物であった使徒ヤコブを殺した、と記されています。
このヘロデ家の(親、子、孫)の3代の同じヘロデという名の人物は、残酷
な殺害を行ったのです。
しかし、今日のテキストに出るヘロデ・アンティパスは、自分の意志で洗
礼者ヨハネを殺したのではなく、一種の策略によって、不本意ながら殺して
しまったのです。
これは、イエスを最終的に十字架刑の判決を下した総督ピラトと似ているか
も知れません。
ピラトも、イエスには罪がないと思っていたのに、群衆の「十字架につけよ」
という声に負けて、不本意ながら処刑の判決を下したのです。
ヘロデは、不本意にヨハネを殺したということで、報復を恐れていたようで
す。
ヘロデは、ガリラヤ地方の領主として絶対的な権力の座にありましたが、実
情は常に恐れと不安にさいなまれていたのです。
さて、洗礼者ヨハネの最後を伝えたこの記事は、多くの人の興味をかき立
ててきました。
英国の劇作家オスカー・ワイルドは、この聖書の記事をもとにして『サロメ』
という戯曲を書きました。
また、ドイツの作曲家のリチャード・シュトラウスは、この戯曲をもとにし
て『サロメ』というオペラを作りました。
また、フランスの画家、G・モローは、「サロメ」という幻想的な絵を描きま
した。
ただし、聖書にはサロメという名前は出てきません。
ヘロディアの娘と言われているだけです。
17節以下を要約すると次のようになります。
ヘロディアという女性は、非常に野心家でした。
彼女は、元来ヘロデの腹違いの兄弟の妻でしたが、ヘロデの方がより大きな
領地を支配していたので、その妻を追い出して、自分がヘロデの妻の座に座
ったのです。
その際、前の夫との娘であったサロメを連れ子として連れてきたのです。
このような結婚は、旧約聖書の法からは禁止されていたので、洗礼者ヨハネ
はこれを激しく非難したのです。
18節には次のようにあります。
ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」
とヘロデに言ったからである。
公然と非難され、おもしろくなかったヘロデは、ついにヨハネを捕らえ、獄
に入れたのです。
因みに、主イエスが宣教活動を始めたのは、このヨハネが捕らえられたとき
からです。
マルコによる福音書1章14節には、
ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝
た
とあります。
ヘロデは、洗礼者ヨハネを捕らえはしたものの、殺す気は全くなかったので
す。
20節には、
なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼
を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお
喜んで耳を傾けていたからである。
とあります。
しかしながら、妻のヘロディアは、機会を捕らえてはヨハネを殺そうとねら
っていたのです。
そして、そのチャンスがきました。
すなわち、ヘロデの誕生日にヘロディアの連れ子のサロメが踊りを踊り、そ
れをヘロデはたいそう喜んで、好きなものを褒美にあげよう、と言ったので
す。
するとサロメは、母ヘロディアと相談したところ、ヘロディアはすかさずヨ
ハネの首を要求したのです。
ヘロデはそれには不本意でしたが、客の前で約束したことなので、とうとう
部下に命じて、ヨハネの首をはね、盆に載せて少女に渡した、と言うのです。
これが洗礼者ヨハネの最後です。
全く無力な最後でした。
宴会の席での一種の戯れの結果、ひとりの偉大な預言者の命が奪われたので
す。
洗礼者ヨハネと言えば、キリスト到来の道ぞなえをした偉大な預言者とされ
ています。
イエスは、「洗礼者ヨハネこそ女の産んだ者の中で最も偉大な人物である」と
評されました。
この最大の人物の最後としては、いかにもあっけない、無惨な死です。
この最大の人物の命は、ただの戯れと引き替えにされたのです。
しかし、このヨハネの死は、決して無駄ではありませんでした。
イエスは、ヨハネによる福音書12章24節で、
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ね
ば、多くの実を結ぶ。
と言われました。
まさにこれは、洗礼者ヨハネにも当てはまります。
彼の死後、彼の弟子たちが、彼の教えを守る集団を形成したようです。
そして、イエスの集団にも影響を与えたようです。
何よりも、イエスはその洗礼者ヨハネの再来だと思われたのです。
洗礼者ヨハネは、旧約聖書の預言者のように、神の裁きを宣べ伝えました。
そしてこれは、イエスにも引き継がれました。
しかしイエスは、神の裁きだけでなく、神の愛、救いをより多く宣べ伝えま
した。
そして、何よりもイエスの十字架によって、私たちの罪が贖われました。
そして洗礼者ヨハネの死は、イエスの十字架の死を準備するものでした。
私たちは、この洗礼者ヨハネの死の出来事から、単なる歴史のいたずらのよ
うな出来事の背後に、神の救いの出来事を読み取ることができるのです。