CH060712 2006年7月12日 梅田キャンパス
マタイによる福音書6章25−34
「思い悩むな」
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先ほど読んだ聖書の箇所で、「思い悩むな」ということが繰り返されています。
「思い悩む」と訳されているギリシア語は、メリムナという語で、これは
人間の心の奥深く抱いている心配、懸念、悩みを意味します。
私たちは生きていくのに、いろいろ思い悩みます。
もしも、この思い悩むということから解放されたら、どんなに素晴らしいか
と思います。
仏教に於いては、この煩悩から解放されると「悟りの境地」に到達するので
しょう。
ニルヴァーナとか「涅槃」とかいって、何の煩いもない理想の境地です。
ただ、仏教では、この悟りの境地に達するには、自分で修行して、これに到
達しなければなりません。
仏陀はこのために6年間山にこもって苦行したといわれています。
しかし、中々なくならないのが、この「思い悩む」ということです。
職場での人間関係、子どもの教育のこと、病気、老後のこと、若い人は学校
の成績、受験、就職、異性の問題、数え上げればきりがありません。
そして、私たちは、絶えずこのような問題に思い悩んでいるのです。
尤も思い煩いということは現代人に得に多いというのではありません。
昔からそうでした。
イエスはここで、食べ物とか着物のことで思い悩むな、といっています。
衣・食・住は、人間の生活において最も重要なことです。
イエスはここで、食べ物とか着物はどうでもいいのだ、断食して裸で暮ら
せ、というような無気力な生き方を勧めているのではありません。
33節には、
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのも
のはみな加えて与えられる。
と言っています。
最優先するのは、神の国と神の義である、というのです。
また、25節には、
「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうか
と、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物より
も大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。
とあります。
食べるのは、自分の命を保つためです。
ところが食物と自分の命とでは、命の方が大切です。
そして、この命(プシュケー)は、神に与えられたものです。
神が大切な命を与えて下さったのです。
それなら、この命を保つための職務とも与えて下さらないはずはないのです。
着物は、体を保護するものです。
ところが着物と体とでは、体の方が大切です。
そして、この体(ソーマ)は、神から与えられたものです。
神が大切な体を与えて下さったのです。
それなら、この体を保護するための着物も与えて下さらないはずはないので
す。
空の鳥は、食べ物の思い悩みがありません。
しかし、立派に生きています。
これは創造者なる神が養って下さるからです。
28節ー30節には、次のようにあります。
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意
して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華
を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのよ
うに装ってくださる。
イエスはここで、イスラエルで一番贅沢をしたソロモン王の衣でさえ、この
花よりも美しくなかった、というのです。
権力と財力の限りを尽くして誇示したものには限界があります。
神がこのように野の花に与えてくれる美しさを考えるとき、同じ神の配慮が
人間に与えられないはずはない、とイエスはいいます。
31-32節には、次のようにあります。
だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、
思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがた
の天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
生活についての思い悩みは、現状の不満から来ます。
しかし、不満を並べ立てても何にもなりません。
それはあらなた思い悩みにしかなりません。
27節には、
あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも
延ばすことができようか。
思い悩みは無益です。
不満が起こるのは、状況が、境遇がそうさせるのでしょうか。
決してそうではありません。
何一つ不満のないような人でも、不平ばかり言っている人もいます。
また逆に、気の毒な状況の人が、不平をいわずに暮らしています。
キエルケゴールは、「すべてこの世的な思い悩みは、人間が他のものとの比較
に悩みつつ、何とかして自分が特別なものになろうともがき努めることに原
因がある」と言っています。
私たちが野の花を見て教えられるのは、そのような他人と比較して自分が
同行と思い悩むのでなく、創造者なる神が何でも知っておられ、常に私たち
のことを配慮して下さっている、という神の愛です。
美しい花を見ながらそういう神の愛、神の配慮に気付かされたいと思います。
この神の愛に気付き、思い悩みから解放され、神に感謝をささげることがで
きれば、と思います。