2006年6月30日 関学商学部チャペル
マタイによる福音書25章14−18節
「プラス志向」
皆さんが学校の帰りに財布を見て、千円はいっていたとします。
するとどう思うでしょうか。
ある人は、「あっ、千円もあったのか。そしたらこれを有効に使おう」と考え
て、何に使うかあれこれ考える人もいるでしょう。
こういう人はプラス志向の人でしょう。
また、ある人は、「なんだ千円しかないのか。これでは何も出来ないわ」と言
って、何もせずに家に帰る人もいるかも知れません。
こういう人は、マイナス志向の人でしょう。
同じ事態に直面しても、それをプラスに考える人と、マイナスに考える人が
います。
そして、プラスに考える方が、より豊かな人生を送れると思います。
ご存じの人もいるかも知れませんが、田原米子さんという人がいました。
昨年67歳で亡くなりました。
この人は、あるいは50年も前に死んでいたかも知れなかった人です。
「心不全のため、67歳であった」と記されていました。
というのは、50年前に鉄道自殺を図ったのですが、かろうじて助かったか
らです。
その後彼女は、非常に数奇な運命をたどりました。
彼女は、16歳の時、非常に慕っていた母を脳溢血で亡くしました。
非常に慕っていた母を突然失ってしまったことで、彼女は絶望的になり、人
生に希望を見いだせず、ついに鉄道自殺を図りました。
人間は、長い人生の中で、絶望的になることもあります。
そして、いっそのこと死んでしまいたいと思うこともあります。
彼女は、東京・新宿駅で、ホームに入ってくる電車に身を投げたのです。
一命は取り留めたものの、両足と左の腕を切断しなければなりませんでした。
彼女が病院で気付いた時には、右手に巻かれた包帯の先から、わずかに残っ
た3本の指だけだったのです。
これを知った彼女は、「たった3本の指で何が出来るか」という思いで、再び
絶望状況に陥り、死ぬことばかりを考えていた、ということです。
しかしその後、熱心に病院にお見舞いに来てくれる宣教師とクリスチャン
の青年から聖書の話を聞き、キリスト教に触れ、神の愛を知るようになりま
した。
そして、今までは、「自分にはたった3本の指しかない」とマイナスにしか捉
えることができなかったのですが、「神は自分に3本の指を残してくれた」と
プラスに捉えるようになったのです。
そして、神が自分に指を3本も残して下さった、この指で自分に出来ること
をしよう、と思うようになったのです。
もし私なら、3本の指しかなくなったとしたら、絶望的になって、もはや積
極的にはなれないような気がします。
しかし田原米子さんは、それから病院に見舞いに来てくれていたクリスチャ
ンの青年と結婚し、たった3本の指を一生懸命訓練して料理も上手にするよ
うになりました。
その後二人の女の子も与えられ、3本の指で子育ても立派にされたのです。
そして、自分の体験を積極的に多くに人に講演して、特に障害を持った人た
ちに多くに希望と力を与える活動もしてきました。
「3本の指しかない」とマイナスに捉えていた時は、死ぬことだけしか考え
ていなかったと言います。
しかし、「神様が3本も指を残してくれた」とプラスに捉えるようになってか
らは、実に積極的な生き方に代わり、多くの人に希望と力を与える人生になっ
たのです。
指が3本という同じ現実に直面しても、「3本しかない」と捉えるのと「3本
もある」と捉えるのでは、人生が大きく違ってくるのです。
先ほど読んで頂いた聖書の箇所は、イエスが話された「タラントンのたと
え」という話の一部です。
タラントンというのは、当時のお金の単位で、最も大きな額でした。
そしてこれは、英語のTalentの語源になっていると言われています。
タレントは日本でもテレビなんかに出る人をタレントと言いますが、能力の
ある人のことを言います。
そして、この譬えでは、3人の人がそれぞれ5タラントン2タラントン1タ
ラントンを預けられた、と言われていますが、私たちの能力は神によって預
けられたものだ、と言うのが聖書の理解です。
ですからそれを、神のために用いるという課題が私たちには与えられている
のです。
そして、5タラントン、2タラントン、1タラントンというのは、与えられ
た能力には差があるというのでなく、それぞれにはそれぞれ違った能力が与
えられている、と言うことではないかと思います。
それを能力の差と捉えるならば、多く与えられていると思う人は優越感を抱
き傲慢になります。
また、少ししか与えられていないと思う人は、劣等感に陥れ、せっかく与え
られたタレントを見失ってしまいます。
それが、今日の譬えの1タラントンを預けられた人です。
1タラントンを預けられた人は、他の二人と比較して、自分には余りタレン
トが与えられていないと思い、それを活用せずに隠してしまった、と言うの
です。
しかし、1タラントンというのは、実は莫大なものなのです。
1タラントンというのは、6000デナリオンに相当します。
1デナリオンは、1日の賃金に相当する額ですから、6000デナリオンと
いうのは、6000日分の賃金になります。
すなわち1タラントンというのは16年分の賃金ですから、相当な額です。
これは、どんなに小さく見えるような能力でも、神からそれぞれに与えられ
ているタラントは莫大なものである、ということが言われていると思います。
田原米子さんは、3本の指しか残されなかったのです。
しかし彼女は、「3本の指しか」と捉えないで、3本も指があることは神の恵
みだと捉えたのです。
そして、3本の指を土の中に隠すのではなく、それを十分に用いて、素晴ら
しいことを行ったのです。
他の人と比較をするところからは、そのような積極的な行動は出てきません。
そうではなく、神から自分に与えられている恵みに目を向けるのです。
ある場合は、これが恵みかと思われることもあるでしょう。
三浦綾子さんは、病気をも神から与えられた賜物と捉えました。
彼女の随筆に『この病をも賜物として』と言うのがあります。
病気などというものは、私たちは全くのマイナスのものだと思わないでしょ
うか。
賜物だとは思わないでしょう。
病気などというものは、もう土の中に隠してしまいたいものです。
しかし、三浦綾子さんはそれをも神から与えられた賜物として受け取ったの
です。
これを書いた時、三浦さんは実にいろいろな病気に冒されていました。
癌もありましたし、パーキンソン病もありましたし、痛みを伴うものもあり、
実に苦しかったのです。
ですから、自分で書くことが出来ず、自分は口述して、夫の光世さんが書い
ていたのです。
それも休み休みです。
病気になるのはとても辛いことです。
しかし、病気になることによって、病気の人の苦しみや悩みが分かります。
三浦綾子さんは、そのような気持ちから、病気で苦しむ人を慰め、励ます文
を書くことが出来ました。
そして、三浦さんの文章によって、励まされた人が大勢います。
私たちもそれぞれ、神から多くのタレントを与えられていると思います。
そしてそれは、それぞれに違うタレントが与えられているのです。
隠してしまわなければならにようなタレントはないのです。
たった3本の指にしても、三浦綾子さんのように病でさえも、神から与えら
れた賜物だとプラス志向に捉えるならば、それを土の中に隠してしまうので
なく、活用して、豊かな実りをもたらすことができるのです。
私たちに果たしてどのようなタラントが与えられているかを考えることも私
たちの課題でしょうし、それを用いて、神のために、人のためにどのように
用いていくかも私たちの課題だと思います。
その場合、私にはこんな賜物が与えられているのだ、とプラス志向に考えて
いくことが大切だと思います。