2006年5月10日      梅田チャペル
       エフェソの信徒への手紙6章1−4節 「母の日について」
 
 今度の日曜日は「母の日」です。
「母の日」は、今から85年前、1908年に、アメリカ・マサチューセッ
ツ州ウェブスターのメソジスト教会で始まりました。
日曜学校の教師を26年間も勤めたクララ・ジャーヴィス夫人は、ある日
「あなたの父母を敬え」という「十戒」の第5戒について語り、特に母の愛
に心から感謝する方法があればよい、と訴えました。
このことを心に深く留めていた夫人の娘のアンナは、母親の追悼会の時に、
1箱のカーネーションを持って来て、会場に飾りました。
列席者は大きな感銘を受け、今後こういう会を毎年開くことを申し合わせま
した。
やがてこれを知った有名な百貨店主ジョン・ワナメーカーが、5月の第2日
曜日に自分の店で盛大な「母の日記念会」を催しました。
この日の模様を新聞などが広く報道したため、各地に広がり、日本では19
23年(大正12年)に最初の「母の日」が祝われました。
そして今や、世界中どこででも祝われています。
そして今やこれは、一種の年中行事と化しており、商品を売る宣伝となって
いるきらいがありますが、この精神というものを本当に考えなければならな
いと思います。
 「母の日」という特定の日が定められたのは、20世紀に入ってからです
が、「両親を大切にする」という習慣は、世界中どこででも、また古い時代
からありました。
例えば、古代ギリシアにおいては、偉大な立法家ソロンが次のように書いて
います。
 
  その両親が年老い、支持を必要としている時に、両親を支えないなら
  ば、彼は市民としての権利を喪失する。
 
ギリシア人は、両親を尊敬することは、国家のすべての市民の基本的な義務
の一つであると考えていました。
日本においても、特に儒教の教えから、親への孝行ということが重んじられ
てきました。
 イスラエルにおいても、その最も古い法律である十戒の第5戒で、「あな
たの父と母を敬え」と言われています。
 イスラエルの人たちも、この戒めを守って、自分たちの両親を敬うことが
重んじられていました。
しかしこういう習わしもその精神が失われて、しばしば形式的になります。
こういうことは、法律を定めたり、「母の日」というのを制定したり、「敬
老の日」という祝日を作ればそれで済むというものではありません。
問題は、そういう形ではなく、心です。
 何故「母を敬わなければならないのか」というのは、「・・・だから」と
いう理由があって敬うというのでなく、そうすることが自然なのです。
母親が子供を愛するのは、理由がありません。
自分の子であるから愛するのです。
その愛に答えて、母を敬うのは、自然な事です。
「子供を愛せよ」という戒めはありません。
これは戒めを作らなくても、自然なこととして皆自分の子供は愛するので
す。
しかし、「あなたの父母を敬え」とわざわざ言われているのは、そうでない
現実が多くあったからでしょう。
否、歴史において、特に母がないがしろにされた時が多くあったのです。
 いつでも変わらないのが母の愛です。
それを覚えると同時に、父なる神の愛をも思い起こしたいものです。
マタイによる福音書7章9−11節。(P.10)
 
  あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があ
  ろうか。魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。このように、あ
  なたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすること
  を知っていいるとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求め
  てくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
 
この父なる神の愛に心から答えていくものでありたいと思います。
今は「母の日」は広く普及して、どこを歩いていても「母の日、お母さんあ
りがとう」という文字が見えます。
しかし、それが形式的に終わらずに、最初の人アンナの母親に対する真心か
らの愛を大切にしたいと思います。