CH060418     2006年4月18日     大学院チャペル
         ヨブ記28章
         「真の知恵」
         21−504,21−88
 
 皆さんは、大学院において、高度な知識を身につけ、それを社会に役立て
ようと一生懸命努力されていることと思います。
知識の探求ということは、非常に重要なことだと思います。
先ほど読んだヨブ記28章は、「知恵の賛歌」と言われています。
ここでは、知恵を探求することと鉱石を探し出すこととが比較されています。
ここには実にいろいろな鉱石が出てきます。
銀、金、鉄、銅、サファイア、サンゴ、水晶、真珠、トパーズなどです。
驚くことは、この知恵文学を書いた記者が、宝石についての知識が豊富であ
った、ということです。
宝石の種類についての知識が豊富です。
ただし、パレスチナにはそのような地下資源は余りなく、大体は外国からは
いってきたものです。
アラビアやアフリカには豊富な地下資源がありました。
この記者は、そのような外国からはいってきた宝石類についてよく知ってい
たと思われます。
それだけでなく、そのような鉱石を採取する技術についての知識も豊富です。
例えば、3−4節には、
 
  人は暗黒の果てまでも行き
  地上からはるか深く坑道を掘り
  行き交う人に忘れられ
  地下深く身をつり下げて揺れている。
 
とあります。
宝石は、古代社会においても貴重なものだったので、それを掘り出すために
技術も早くから発達していたようです。
また、9−11節には、
 
  だが人は、硬い岩にまで手を伸ばし
  山を基から掘り返す。
  岩を切り裂いて進み
  価値あるものを見落とすことはない。
  川の源をせき止め
  水に隠れていたものも光のもとに出す。
 
とあります。
ここでも、宝石にたどり着くために並々ならぬ努力と言うことがいわれてい
ます。
このように、人間は貴重なものを探し出すために、あらゆる努力をした、と
いうことが言われています。
ただ、ここで、この記者は、宝石を探し出すことを主張しているのではあり
ません。
それは比較として用いられているだけです。
この記者の本当に言いたいことは、12節に言われています。
 
  では、知恵はどこに見いだされるのか
  分別はどこにあるのか。
 
ここで、この記者の本当に言いたいのは、真の知恵を求めるということです。
そして、その真の知恵とは、28節で言われているものです。
 
  そして、人間に言われた。
  「主を畏れ敬うこと、それが知恵
  悪を遠ざけること、それが分別。」
 
このヨブ記と箴言とコヘレトの言葉は、知恵文学と言われています。
知恵文学に共通しているのは、真の知恵を求めることの大切さと言うことで
す。
そして、その真の知恵は、「神を畏れる」ということです。
人間の知識欲というのは、非常に大事です。
皆さんも大学院において、高度な知識を身につけるために努力されているこ
とと思います。
しかし、人間の知識欲には、落とし穴もあります。
高度な知識も使いようによっては、恐ろしいことにもなります。
科学の発達で人類がやってきたことは、兵器の開発です。
核兵器などはその代表でしょう。
一発の核兵器で、何十万、何百万という人を殺すことができるのです。
知恵は、神から与えられたものだと思いますが、そのような知恵を間違って
用いれば、とんでもないことになります。
権力の座につくものは、しばしばそのようなものを求めます。
絶対的な軍事力でもって、あたかも自分が神のようになったと思い上がるの
です。
聖書では、そのようなことが警告されています。
例えば、「バベルの塔」の物語です。
人間は、天にまで届くような塔を建てようとした、と言うのです。
天にまで届くというのは、人間が自ら神のようになる、と言うことです。
これは傲慢の罪として神に裁かれ、人間は言葉が乱された、というのです。
そのためもはや塔を建てることができなかった、というのです。
また、高度な知識を悪用して、経済界でのいろいろな不正が行われるという
こともよくあります。
株の取引を不正に操作したり、偽札を造ったり、実にいろんな不正が行われ
ています。
いずれも、その知識を自分の欲のために用いる結果ではないかと思います。
それに対して、知恵文学の著者は、「神を畏れることが真の知恵だ」と言いま
した。
これは、関西学院のモットーであるMastery for Serviceに通じると思います。
知恵というのは、神から人間に与えられた賜物だと思います。
それを自分のためだけに用いるのでなく、神に仕え人に使えるために用いる
というのが、Mastery for Serviceの精神だと思います。
皆さんも、大学院において高度な知識を身につけるわけですが、それを人々
のため、社会のため、ひいては神のために用いるようにしてください。