2005年12月23日   ウエディング・クリスマス
         ルカによる福音書2章1−14節
         「大きな喜び」
 
 ようこそ、ウエディング・クリスマスにお越し下さいました。
皆さんは、この1年間に関学のチャペルにおいて結婚式を挙げられました。
私たちは皆、皆さん方が神様の祝福を受けて、幸せな結婚生活を送られるこ
とを祈っていますが、今日はこうして幸せそうなお姿を拝見でき、うれしく
思います。
そして今日は、共に主イエスの降誕をお祝いしたいと思います。
 さて先ほどお読みしました聖書の箇所は、主イエスが誕生したときの記事
です。
しかし、イエスの誕生は、普通の誕生ではありませんでした。
旅先で、しかも家畜小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かされた、とあります。
非常に惨めな状態です。
なぜ、こんな状態で生まれたのでしょうか。
その事情が今日の記事に記されています。
当時のユダヤはローマ帝国の支配下にありました。
時のローマ皇帝アウグストゥスはユダヤの住民に登録をせよとの命令を出し
たのです。
それは、支配していた地域からどれ位の税金を取れるかを調べるためでし
た。
イエスの両親であるヨセフとマリアは、その命令に従って故郷の町ベツレヘ
ムに旅立ったのです。
ここに、支配されている国に住む無力な人の悲しい姿があります。
この旅は、新婚旅行といった楽しい旅でなく、実につらい苦しい旅だったと
思います。
イエスの両親が住んでいたのは、北に位置するガリラヤのナザレという小さ
な町でしたが、住民登録をするベツレヘムはずっと南の町でした。
その間約200キロぐらいです。
交通事情は今とは違い、山あり、谷あり、途中にはいろいろな危険があった
所を、歩いていったに違いありません。
マリアは臨月に近かったので、出来ればこのような辛い旅には出かけたくな
かったでしょう。
静かに家にいて、出産を待ちたかったに違いありません。
しかし、ローマ皇帝アウグストゥスの住民登録の命令に従わない訳にはいき
ませんでした。
ですから、この度はきっと辛い苦しい旅であったに違いありません。
しかし、ヨセフとマリアは、お互い助け合いながら、その苦しみを共にした
と思います。
しかし、その苦しみを共にするということで、夫婦のきずなは深くなるのです。
皆さんは、結婚式の時、誓約をされたと思います。
恐らく、「その健やかな時も、その病む時も、これを愛し、これを敬い、こ
れを慰め、これを助ける」といった内容の誓約であったと思います。
結婚生活は、生涯のことです。
その途上においては、いろいろな苦難に遭遇することもあると思います。
それは試練の時かも知れません。
そして夫婦は、その苦しみを共に担うのです。
夫の苦しみは妻の苦しみであり、妻の苦しみは夫の苦しみです。
共に担い合うということが、夫婦の生涯の課題です。
これは、喜びの時もそうです。
夫の喜びは、妻の喜びでもあります。
妻の喜びは夫の喜びでもあります。
ローマの信徒への手紙で、パウロという人は「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と
共に泣きなさい」と言っています。
まさにこれは夫婦にも言えることです。
 さて、苦しみを共にして旅をしたヨセフとマリアは、やっと目的のベツレ
ヘムに到着しましたが、宿屋には泊まる場所がなかったので、家畜小屋で出
産をした、というのです。
そして、家畜のえさを入れる飼い葉おけに寝かせられた、というのです。
実に貧しい光景です。
神の御子の誕生としては、何と惨めな誕生でしょうか。
しかし、主イエスは、貧しさの中に生まれたので、貧しい人たちのつらさを
知り、惨めさの中で生まれたので、惨めな人の苦しみを知られたのです。
苦しみの中で生まれたので、私たちの苦しみを知り、私たちの苦しみを共に
担ってくださるのです。
しかし、赤ちゃんの誕生は、二人にとって、大きな喜びだったでしょう。
 そしてその大きな喜びは、その地方で野宿をしていた羊飼いたちに知らせ
られました。
それは天使によって知らせられました。
天使は次のように言いました。
 
  「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日
  ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方
  こそ主メシアである。」
 
このメシアの到来は、この当時の、特に貧しい、虐げられていたユダヤの民
衆が待望していた者です。
そしてこれが、貧しい羊飼いに最初に知らされたのです。
そして羊飼いたちは、急いで行って、イエスの生まれた家畜小屋を探し当て
て、お祝いをしました。
天使は、「民全体に与えられる大きな喜び」と言いましたが、この時に実際
にイエスの誕生を知って、喜んだのは、羊飼いたちだけでした。
しかし今や、この「大きな喜び」は、クリスマスとして、全世界で多くの人
に祝われています。
皆さんも今、この喜びに共に与っています。
これも一番もとになっているのは、マリアとヨセフが苦しい旅を共に助け合
い、協力し合い、愛し合いながら、行ったことを覚えたいと思います。
そして私たちも、この「大きな喜び」と共に喜びたいと思います。